2026年7月19日(日)

30分の旅

2026年7月19日

 東京都心に暮らしていた子どもの頃、夏休みが楽しみだった。親の実家のある静岡の田舎に帰省すると、東京では味わえない自然と出会えたからである。おじさんの車で山まで行き、ガラスのように透明な水が流れる清流に降りる。石をひっくり返すと、オレンジ色の鮮やかなサワガニが見つかった。ときには小さな赤ちゃんカニをたくさん抱えたお母さんカニにも出くわした。公害がひどかった1960〜70年代のことだ。

色の異なるサワガニを同時に見つけられることもある(柳瀬博一撮影)

 都心に綺麗な川なんかないし、ましてや野生のサワガニを見つけることなんて絶対に無理。サワガニに会うには、田舎の清流を目指すか、デパートの屋上のペット売り場に行くしかなかった。

 でも、いま、私は通勤の行き帰りに、気軽にサワガニくんたちと挨拶を交わせる。東京都心で。しかも1カ所ではない。何カ所も出会える場所がある。たとえば、山手線の内側にだって、野生のサワガニはいる。神田川や目黒川や渋谷川か。いいえ。70年代よりはるかに綺麗になったけれど、あそこにサワガニは暮らしていない。

 一体どこに?答えは、地下と地上を結ぶ割れ目である。そこから流れ出る湧き水。崖の縁のちょっとジメジメしたところ。それが東京のサワガニの住まいだ。東京のサワガニは、沢に暮らしていない。そもそも沢などない。沢よりもさらに川の源流にあたる水が湧いている崖や谷の隅っこ。人類が東京に到達するはるか前から、サワガニは小さな湧水地で命をつないでいる。

 東京は湧き水だらけの土地だ。多摩川が形成した武蔵野台地の地下には豊富な地下水が流れ、標高50メートルあたりから湧き水となって谷を形成する。それが神田川や目黒川や渋谷川になる。こうした川が削った崖や支流にあたる谷の源流から湧き出す水。東京に暮らすかたは、ご近所の公園の崖を見てほしい。水がじくじくと流れている場所があるかもしれない。

都心に残る「ちっちゃな湧き水」

 そこが東京都心のサワガニの住まいだ。サワガニじゃなく地下水ガニ、なのである。このじくじくと流れ出す水が小さな流域を形成し、より大きな川に合流するわけだが、源流部は緑地や公園に姿を変え、「ちっちゃな湧き水」が残っていたりする。本流の川は公害でいったん生物が死滅したけれど、「ちっちゃな湧き水」は高度成長期を耐えぬき、綺麗なままだった。その証拠が、いまも元気に暮らす東京都心のサワガニたちだ。

 55年前に、私が暮らしていた都心の社宅。そこから徒歩5分圏内にも、サワガニが暮らす公園がある。深い谷の真ん中を流れる水の流れの中ではない。谷の壁面の苔に覆われた割れ目。そこからサワガニの顔がのぞく。私が小学生だった当時も、いたはずだ。

 東京のサワガニはしばしばオレンジ色じゃなく、鮮やかなブルーだったりする。この夏、都心で青いサワガニを探してみよう。ただし、見つけても他言無用。あなただけの秘密の場所にしておいて。30分の旅のお約束、である。

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台湾「麗しの島」の実像 日台新時代を拓く「3つの視座」
台湾「麗しの島」の実像 日台新時代を拓く「3つの視座」

かつてポルトガル人が「フォルモサ(麗しの島)」と呼んだ台湾。半導体産業で世界の最先端技術をリードし、日本統治時代の記憶も、歴史の一部として内包している。一方で、現在は米中対立の最前線に立たされ、難しい現実に直面している。国際社会で複雑な立場にある台湾とともに、日台新時代をどう拓くのか─。「3つの視座」から考えたい。


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