シーア派の宗教指導者の処刑をめぐって起きたサウジアラビアとイランの対立は、サウジに続き、隣国バーレーンとスーダンがイランとの断交を決定。アラブ首長国連邦(UAE)が駐イラン大使の召還を発表するなど周辺諸国に拡大した。今回の宗派対立激化の背景には「イランの強迫観念に取り憑かれたサウジのサルマン体制の判断ミスがある」(ベイルート筋)ようだ。
潜在的な対立が噴出
水面下で繰り広げられてきたペルシャ湾岸の2大国、サウジとイランの覇権争いが一気に噴出した感がある。サウジは断交後、イランへの渡航禁止やイランとの商業関係の断絶も発表した。両国は1988年にも、メッカ巡礼で、イラン人巡礼者とサウジの治安部隊が衝突し、イラン人275人が死亡した事件をきっかけに2年間断交した過去がある。
両国はその後、潜在的な対立はありながらも表面上は平穏を装ってきた。しかし2011年の「アラブの春」で、抑圧されてきたサウジやバーレーンなど湾岸諸国のシーア派は支配層であるスンニ派王家への不満を爆発させ、反政府運動を活発化させた。
特に小国バーレーンは支配層であるスンニ派は少数派で、多数派のシーア派による反政府抗議行動が頻発。サウジが戦車部隊をバーレーンに送り込んで反政府行動を鎮圧した経緯がある。サウジやバーレーン王家では、こうしたシーア派の反政府行動の背後でイランが糸を引いているとして警戒心が高まった。
サウジなど湾岸諸国はこれ以上イランの影響力が地域に拡大するのを阻止するため、シリアの内戦でイランが支えるアサド政権に敵対する反体制派を支援。サウジはさらに隣国イエメンで起きた内戦でも、イランがクーデターを起こしたシーア派のフーシ派を扇動しているとして、イエメンに軍事介入した。
昨年9月のメッカ巡礼の圧死事故では、イラン人450人を含む2411人が死亡、イラン側がイラン人元外交官を誘拐するためにサウジが事故を利用していると非難するなど両国の対立と敵対心が深刻化していた。こうした潜在的な不満が臨界点にまで近づいていた時に、サウジによるシーア派指導者ニムル師の処刑が実施された。