「盲人と晴眼者が一緒になって、晴眼者が盲人を伴走してる。遅い人もたくさんいるから大丈夫だし、渡辺さんは朗読やってて盲人のことをよく知ってるからちょうどいいんじゃないか」とその知人に言われ、渡辺君は日本盲人マラソン協会に入会します。渡辺君は、一人で代々木公園を走って、いろんな人の伴走ぶりを見学して、やり方を学びました。
伴走では、ロープ(50cmくらいの輪)を盲人と晴眼者が両側から握り、「あと10メートルで右に曲がります。ハイ、右、右、右、ハイOK」とか、「後10メートルで坂を登ります。100メートルぐらい続くゆるやかな坂です」、あるいは「今桜が満開で、ちょうど桜のトンネルの下を走っています」というようなことも言うのだそうです。
50cmのロープが「心の絆」
初めて伴走したのは、前から飲み友達だった、10歳年長の盲人ランナーだったそうです。渡辺君はこう言っています。「伴走はやってみたら、50cmのロープを通して、相手の体温やぬくもりとか、心臓の鼓動とかが伝わって来るような気がして、とても楽しかった。私がネーミングしたんですけど、盲人マラソン協会の会報のタイトルを『絆(きずな)』としています。50cmのロープが、見えない目と見える目をつなぐ心の絆、というつもりです」。
行動力のある渡辺君は、仲間と協力して、盲人マラソン普及のために、いろんなことを仕掛けていきました。協会の理事就任を依頼された渡辺君は、「知られざるものは存在しないに等しい」という広告マンとしての持論を胸に、PR担当のつもりで理事職を引き受けました。「世の中に知らせるためには、大きなイベントやってマスコミに報道してもらうのが一番早い。だから『世界盲人マラソン大会』を開催しよう」という発想は、さすが超一流の広告マンです。
宮崎市と協力して、「第1回世界盲人マラソン大会宮崎大会」の開催にこぎつけた渡辺君は、盲人と晴眼者とが同時に同じコースを走る「ノーマライゼーション」の考え方にこだわりました。宮崎の4年後に行われた「第2回世界盲人マラソンかすみがうら大会」にもこの考え方は受け継がれ、それ以降も主要コンセプトとして定着しているそうです。
「朗読と盲人マラソンがあって私は幸せだ、ボランジャーは私にとって、友達づくりでもあり、生涯学習でもある」と渡辺君は語っています。
渡辺君は次のような言葉で全体を締めています。
「ちょっとご紹介したい言葉があるんですが、江戸時代の思想家で佐藤一斎という人が書いた『言志晩録』の中に『若くして学べば壮にして為すことあり、壮にして学べば老ひて衰へず、老ひて学べば死して朽ちず』というのがあり、これは生涯学習の言葉としてはなかなかいいと思います。そういう幸せを味わうことができるのも、私がボランジャーをやらせていただいてるおかげであり、これは日本点字図書館なり、日本盲人マラソン協会なりという場があり、そこでやらせていただいている。私の朗読した本を聴いてくださる聴読者の方々が大勢いて、それから、私は遅いのに、その私に伴走させてくださる盲人ランナーの方々がいる。そのおかげであると、深く感謝しています」
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渡辺君が不幸にもファウルボールを目に受けて、視力をほとんど失い、大変苦労していたことは、彼自身から聞いて知っていました。しかし私は、レマン社代表という職業人として、利益追求に一生懸命取り組む彼の姿も同時に知っていました。だから、視力を失ったことがこれほどまでに彼の人生の大半を占め、ボランティアにこんなにしっかり取り組んでいて、ノーマライゼーションについて心の底から考え抜いて実行していたとは、この講演録を読むまで、私は「知ってはいたけど深くは知らなかった」のです。