渡辺君の行動と考え方は、人生の機微にふれる話やハウツーものの本といったレベルを遙かに超えています。壮絶なことを淡々と話すすごさ、偉そうな「上から目線」が全くないことのすごさ、すべてが実体験に基づいていることのすごさ、片眼の見えない渡辺君が両眼の見えない人のマラソン伴奏者であったことのすごさ・・・。人生は、長くてもわずか120年ですが、長いようで短く、短いようで長い、人生というものの素晴らしさを、あらためて感じました。
ちょっと横道にそれますが、前回(第16回)、前々回(第15回)のコラムを読んでくださった方々が次のようなものを持ってきてくださいました。
ひとつは、その方が1959年に米マサチューセッツ工科大学(MIT)に留学中に購入し読まれたという、経済学者ロストウの『経済発展の諸段階 一つの非共産主義宣言』の原著 "The Stages of Economic Growth : A Non-Communist Manifesto"です。下君はロストウを愛していました。遺稿集『現代経済の透視』にはたびたびロストウが登場します。下君がこれを読んで勉強していたのかと想うとじーんときます。そしてもうひとりのある方が持ってきてくれたのは、長野県の諏訪清陵高校(旧制諏訪中学校)の同窓会名簿です。
その方が指し示したところをみると、なんと「両角(もろずみ)英運」という名前がありました。前回のコラムでこの方を紹介しましたが、広島の修道高校を放校になり、行く高校がなくて困っていた亀井静香君を救い、都立大泉高校への入学を許可した校長先生です。その方は「両角という名字は私の故郷の諏訪地方に多いから」とわざわざ同窓会名簿を調べてくれたのでした。
先ほど書いたように、渡辺君が講演の最後で紹介した、江戸幕末の昌平坂学問所教授・教育者の佐藤一斎による「言志晩録」の一節は、漢文で書くと次のような格好です。
少而学則壮而為有 少(わか)くして学べば壮にして為すことあり
壮而学則老而不衰 壮にして学べば老ひて衰へず
老而学則死而不朽 老ひて学べば死して朽ちず
あの下 壮而君の「壮而」という名前はこの漢文から取られていると私は思うのです。その漢文が、渡辺君の座右の銘だったとは。
思えば今日(11月1日)は亀井君の誕生日です。亀井君も私と同じ73歳になりました。亀井君が「モラトリアム」をぶちあげたことをきっかけに、私は下君のことを書いてみようと思いたち、コラムを続けていくことで、いろんな方々が情報をくださって、「人の縁」が深まっています。縁の糸が、それぞれの方々をつなぎ、円環のような不思議なストーリーが生まれています。
亀井君、下君、隅谷三喜男先生、両角校長先生。そして今回、盲人マラソンの50cmのロープを「見えない目と見える目をつなぐ心の絆」に見立て、盲人マラソン協会の会報を『絆』と名付けた渡辺君にまで話が広がりました。私はあらためて、渡辺君にペコペコしています。「人の縁」が生み出す「絆」を、私自身はいま、驚きとともに実感しています。
渡辺君と私は、先にちょっとふれた池袋駅東口の服部珈琲舎で、40年前に、小さくて大きな約束をしました。次回はそのことについて述べたいと思います。
■読者のみなさまへ
筆者自身が述べておりますように、このコラムは、読者の方々からいただいた情報のおかげで、当初は想定していなかった広がりを見せております。どのようなことでも結構ですので、ご感想などございましたら、こちらからお送りいただければ幸甚です。 (編集部)
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