私が子どものころ、同級生のほとんどにきょうだいがいました。お兄ちゃん、お姉ちゃん、弟や妹。同級生が上だったり、下だったり。「また、ケンカしちゃった…」「お兄ちゃんが、宿題教えてくれた」「妹って、わがままなんだから!」など、憤慨したかと思えば自慢げに話す様子や学校や遊びの場で見かける、世話を焼いたり焼かれたりの様子は、所謂“一人っ子”の私には、うらやましく思うことが多かったです。
もっとも、逆にうらやましがられることも多かったのも事実です。特に、食べ物に関する問題は、「好きなものを、好きなだけ食べられる」と思われていたようでした。確かに『じゃんけん』(岩崎書店)なんかしなくても、自分の食べる分は常に確保されていましたが、きょうだいでワイワイと食べる楽しみはなかったわけですし、サバイバルには弱い性格になったように思います。
お兄ちゃん・お姉ちゃんになるということ
改めて「少子化問題」と言われなくとも、子どもの同級生やその周辺の様子から、最近は兄弟が少なくなっていることは察せられます。それでも、街中や時折ボランティアで訪問する病院で、お腹の大きなお母さんの隣に小さな子を見かけると、「ああ、お兄ちゃん、お姉ちゃんになるんだねぇ」と思わず応援したい気持ちになります。お母さんにピッタリくっついた照れくさそうな顔が、時おり寂しそうな、不安げな表情を浮かべるように見えるのは、私の気のせいでしょうか。
あかちゃんが生まれてくるとわかった時、『あかちゃんのゆりかご』(偕成社)を作ったのはお父さんでした。おじいちゃんがペンキを塗り、おばあちゃんがベッドカバーを作り、そしてお兄ちゃんも、あかちゃんと一緒にあそびたいなと思いながら、モビールを作ったのです。そして、『はるちゃん、ね』(ひさかたチャイルド)と、「なんでもひとりで出来るんだよ。だって、おねえちゃんになるんだもん」と張り切っていても、いざ赤ちゃんが生まれたら、自分を取り巻く状況の変化にびっくりするのは、無理からぬことでしょう。大好きなお父さん、お母さんを初めてとして、周りの大人たちの関心も、労力も、否応なく、まずは赤ちゃんに注がれるわけです。昨日までの栄光の日々(!)は、どこへ・・・?
でも、自分がお兄ちゃん、お姉ちゃんになったことが、わからないわけではもちろんありません。ピーターは、自分のゆりかごやベッドが、なんの相談もなく、いつのまにか赤ちゃん用のピンクに塗り直されているのを見て憤慨します。かろうじてまだ塗られていない椅子を持って、家出することにしました。ところが、椅子に座ってみようとしたら、おしりが入りません。ピーターは、大きくなりすぎていたんです。そして、ピーターは、自分から椅子をピンクに塗ることを提案します。小学校の教科書にも掲載されているこの『ピーターのいす』(偕成社)は、自分で気付くことの大切さと、それには、少々時間が必要なことを教えてくれます。
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