山梨県出身の映画人で私が個人的に格別忘れ難い思い出を持つのは甲府市出身の増村保造(1924~86年)である。1950年代末に彼が新人監督として登場したとき、彼は日本映画の革新の先頭に立っていた。
ちょうどその頃、私も新人批評家として名が出た頃で、彼とそれに続くヌーベルバーグをもり立てることに情熱を傾けたものだ。「巨人と玩具」(1958年)のダイナミックな社会風刺など、みんなアッと驚いたものだった。
開高健の同名小説を増村保造が監督して映画化。主演は川口浩、野添ひとみ
右はDVD(2007/11/22発売 税込3.990円) ©1958角川映画
甲府市出身でもっと古い芸能人にはコメディアンの清水金一(1912~66年)、通称シミキンがいる。戦前の浅草の舞台で人気者になり、戦後は映画でも大いに笑わせてくれた。大先輩のエノケンが道化と哀愁をミックスしていたのに、シミキンのほうは哀愁ナシ、ひたすらパァーッと明朗で、くったくのないところが持ち味だった。戦後の暗い世相の反面の解放感をシミキンからこそ感じとっていたファンも私などの世代には少なくなかったはずである。川島雄三監督の「シミキンのオオ!市民諸君」(1948年)などがある。
森進一も甲府市の生まれ。ただし育ったのは鹿児島である。歌手としてのヒット曲を映画化した作品で何本か主演の映画がある。「旅路 おふくろさんより」(1971年)その他だ。
現在の甲州市出身に三浦友和がいる。ただしこちらも幼い頃に東京に移っている。歌手として人気絶頂期の山口百恵の映画出演の相手役というかたちでまじめな二枚目として売り出し、「伊豆の踊子」(1974年)をはじめ百恵=友和主演のヒット作がたくさんある。その後彼女と結婚し、彼女の引退以後は地道な脇役として着実にいい味のある名演技者の道を歩んでいる。最近では「ALWAYS 三丁目の夕日」(2005年)のやさしい医者、「沈まぬ太陽」(2009年)では主人公に対立する大企業の経営陣のひとり、「アウトレイジ」(2010年)ではやくざの組の幹部でいちばんずるい奴など、とても良かった。
おなじく現甲州市出身の土屋嘉男も、地道で風格のあるいい脇役である。坪内逍遥門下の英文学者だった父の影響で、塩山小学校の生徒だった頃からシェイクスピアを読んでいたという。新劇俳優から黒澤明作品の定連の出演者になる。「七人の侍」(1954年)、「赤ひげ」(1965年)など熱演だった。主演の「黒い画集 ある遭難」(1961年)も忘れ難い。
南都留郡谷村町(現都留市)出身には根津甚八がいる。彼も九歳で川崎に移っている。アングラ演劇の発足期に唐十郎にひかれ状況劇場に参加して俳優になった。映画ではやはり黒澤明の「乱」(1985年)がいい。
現在の都留市の出身で、かって市川崑監督の「日本橋」(1956年)に主演した品川隆二がいる。甘くて線の細い二枚目で、これはいい作品だった。
田原俊彦も山梨県出身。テレビの「3年B組金八先生」の生徒のひとりから出発して、映画でも「課長島耕作」(1992年)などから二枚目スターとして活躍した。
ドキュメンタリーの監督の小池征人は南巨摩郡鰍沢町の出身。「免田栄 獄中の生」(1993年)や「白神の夢 森と海に生きる」(2003年)など、深い感銘を与えられる傑作を何本も作っている。(次回は山形県)
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