大伴家持〔おおとものやかもち〕と平賀源内〔ひらがげんない〕。
犯人はこの二人である。「鰻は夏が旬」という誤解を、常識にしてしまった犯人は。
石麻呂〔いはまろ〕に吾〔わ〕れもの申す
夏痩〔なつやせ〕によしといふものぞ鰻〔むなぎ〕とり食〔め〕せ
(巻16-3853)
万葉集にあるこの歌で、家持は夏バテには鰻という強烈なイメージを植え付けた。
鰻は夏バテ防止の栄養食品という認識が、当時からあったことは興味深いが、これが「鰻=夏」というイメージを作った。
一方の平賀源内。江戸の蘭学者、才人は夏場、商売あがったりとこぼす鰻屋に、「本日土用丑の日」と大書して張り出させた。源内先生がそう書くのだから、土用は鰻を食べるべき日なのだろう……。かくして、土用の鰻という条件反射が出来上がったという。
というわけで、「鰻は夏」はこの二人が作り上げたものなのである。バレンタインデーのチョコレートのようなものか。夏バテでも食が進むから、それよりましか(ただし、より正確にいえば、源内先生の方は伝聞の話ばかりで、確証は得られない。なので、こちらは犯人よりも被疑者とでもいうべきかもしれぬ)。
ともあれ。だからといって、鰻の旬が夏という訳ではない。こと食に関しては、あの北大路魯山人でさえ、この人物の前では駆け出しにしか見えぬ食の博覧強記、木下謙次郎は、他の魚介ほどには、はっきりとした旬はないという。誰にでもそれと分かるほどには。
とはいえ、冬眠か、産卵のために深海に戻る直前の秋から冬にかけての時期、つまり、これからが最も脂がのって一番だと『美味求真〔びみぐしん〕』の中でも書いている。
そして、それは天然鰻の話である。戦前、謙次郎の時代は養殖がそれほど一般的でなかったことはさておき、ふつうの養殖ものは、季節などない育て方であるから。
それではどこの天然ものがよろしいか。謙次郎いわく、「鰻は温水魚なれば、九州地方の温き水に育ちたるもの、最も宜しきは勿論」と。
そんな文章を読み返していたら、我慢出来なくなった。新幹線に乗った。目的地は小倉。「田舎庵」を思い出したのだ。新幹線を降りたら、五分ほどの鰻料理店である。
主人の緒方弘さんは、先代から続く料亭を近くの八幡〔やはた〕で経営していた。かの大製鉄所の地元。お大尽の接待。しかし、時代は変わる。接待、経費ではない、個人のちょっとした贅沢。丼や一品を美味しく、楽しくという流れ。そう考え、始めたのが、鰻の専門店だった。
何故か、鰻が好きでたまらない。凝り性も半端ではなかった。近所の漁師たちから直接買い上げて回る。あるいは、自分のところで買うからということで、漁を続けてくれるように頼み込む。そうして、入手している。福岡県から大分県にかけての豊前海〔ぶぜんかい〕などの河口付近の汽水域にいるものを。