2024年4月27日(土)

東大教授 浜野保樹のメディア対談録

2010年10月14日

石坂 上を向いて歩こう、ね、「スキヤキ」って歌になって。

 でも第2作でなぜこけたか。あれ、すぐ行っちゃったからですよ、戦略がないまま。

 なんたってビルボードのキャッシュボックス1位を3週間、ていうのは初体験だから。ま、これは1963年のことで、人から聞いた話なんですが、大急ぎで第 2弾をつくろうってことになって、日本で用意した曲が、誰が選曲したかわからないけど「支那の夜」だったっていう。よりにもよって、ねえ。

 おまけに浴衣で行ったという。キュー・サカモトっていっても当時のことで顔を知らないから、カッコいいみたいだよって、ニューヨークの空港にたくさん集 まってた。現れたのが、坊主刈りに浴衣がけ…。ごめんなさい、亡くなった人の話なんですが。

 結局「支那の夜」は30位くらいまで行ったけど、それで終わりだったそうです。

浜野 はあ…。

 話を戻しまして、邦楽に軸足を移された。今度はご自分でアーティストを育て、曲をプロモートする立場になったわけですよね。どこから手掛けられたんでしょ う。


(構成・谷口智彦)

石坂 敬一(いしざか・けいいち)
ユニバーサル ミュージック合同会社会長。
慶應義塾大学卒業後に入社した東芝音楽工業株式会社で、ビートルズやピンク・フロイド等、洋楽アーティストの担当ディレクターとなる。英語の原題を大胆な 日本語訳にアレンジしたり、音楽批評家と連携してリスナーに音楽の理論的土壌を提供したりと、日本の音楽シーンを改革しヒットに結びつけ、70~80年代 にかけて洋楽ブームを巻き起こした。
邦楽アーティストとの親交も知られており、RCサクセションを率いた忌野清志郎をはじめ自社に移籍させたBOØWYや矢沢永吉、松任谷由実など、人脈は幅広い。
2007年からは日本レコード協会会長も務め、若年層等に対する著作権教育と著作権意識の啓発に貢献、2009年には藍綬褒章を受章した。


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