で、もう一言言うと、ビートルズのくびきから完全に解放されて最初に当たった日本のバンドはBOØWYですよ。
「米国進出」が成功しないこれだけの理由
野 同じ世代なんでわかりますが、初期のロックは、ともかくロックを日本語でやるんだって意図先行、肩肘はってた感じで、音楽はちょっと二の次、 でしたね。BOØWYになったら、音楽楽しむって気持ちに溢れてたと思うけど。
石坂 お客も演奏主体も、こなれてないね、初期のは。「これでアメリカに勝つぞ」っていうようなね。
実際、クリエイションを押し立てて、ニューヨーク、マサチューセッツ州のナンタケット島、それからオーストラリア遠征をやった。これ、くたびれましたよ。
やっぱり英語しゃべれないと。僕は(クリエイションでボーカルとギター担当の)竹田和夫の代わりに、竹田和夫になりすまして、シドニーのラジオ番組に出た んだけど(笑)、無理あるよね、これ。
浜野 アメリカで当てたいという気持ち、これはミュージシャンでも映画人でも、必ず持っていました。もちろん石坂会長にもその気持ち…
石坂 ありますよ。
浜野 トライされたんですか。
石坂 したんだけど、金を持って帰る、という意味での成功は、一度もなし。
金払いに行っているような感じ(笑)だった。これ、「海外進出」じゃないなと思いましたよ。「海外貢献」?(笑)
浜野 おしなべてそうなってしまうのは、どこに原因があるんですか。
石坂 まず、売りに行ってる先のアメリカは、はなから必要としていません。
アメリカは非常にドメスティックな国だから、フランス音楽も必要としていないし。日本音楽も、古典芸能の能でも行けば大歓迎か知らんが、一般性に欠ける。
ドイツ音楽もダメ。イギリス音楽は、ビートルズ以降初めて受け入れられたけど、だんだん減っていった。アメリカの音楽で十分、ていう「満席」状態の国ですから。
突破するには、仕組みを作らないといけない。もちろんアーティストとマネジャーは、向こうの人と意思の疎通がとれるだけの英語力が必要。
音楽は国境を越える、っていう。これはその通りなんだとしても、趣味は国境を越えない。だから、国境越えてみましたってだけ(笑)になる。