2024年12月7日(土)

WEDGE REPORT

2017年10月28日

党大会において「台湾独立」の阻止を断固たる姿勢で示した習近平。だが、習近平政権の対台湾政策が強硬路線一辺倒になると結論づけるのは早計である。中台関係に詳しい法政大学・福田円教授が、中国党大会後の「対台湾政策」を読み解く――。

 中国共産党第19回党大会が開幕した10月18日、習近平総書記の政治報告は3時間半にも及んだ。その後半において、党員の拍手が一際大きく、長く鳴り響いた箇所があった。それは、「台湾独立」に対して、「われわれはいかなる者、いかなる組織、いかなる政党がいかなる時にいかなる方式によって、中国のいかなる領土を中国から切り離すことも絶対に許さない!」と、習近平が語調を強めた時であった。5年前の政治報告において、胡錦濤前総書記が「いかなる人物、いかなる勢力がいかなる方式において台湾を祖国から分割することも絶対に許さない」と述べたのに比べても、習近平の断固たる姿勢がひしひしと伝わってきた。

新華社/アフロ

習近平が「6つのいかなる」に力を込めた背景

 党大会の開幕前から、習近平政権二期目の対台湾政策は強硬になるだろうという観測が方々でなされていた。そのなかには、台湾統一のタイムテーブルや武力統一の可能性を論じるものまであった。確かに、習近平政権は、昨年5月に台湾で発足した蔡英文政権を対話の相手として認めておらず、特に昨年12月のトランプ=蔡英文電話会談以降、台湾に対する様々な圧力を強化している。同政権は、馬英九前政権との対話の基礎であった「92年コンセンサス」を受け入れることを対話の条件としてきたが、蔡英文政権はそれに応じていない*

 そして、蔡英文政権発足後の台湾においては、文化や社会の「脱中国化」が一層進んでいる。習近平が政治報告において、上記のいわゆる「6つのいかなる」に力を込めた背景には、こうした状況に対する危機意識への対応と蔡英文政権に対する警告という意味合いがあると推測される。

*「92年コンセンサス」とは、「一つの中国」原則の堅持に関して中台間で1992年に交わされたとされる合意で、台湾側は「一つの中国」の定義は双方で異なると主張したのに対し、中国側はその主張を否定していなかった。しかし、党の基本綱領に「台湾共和国の建国」を掲げ(いわゆる台湾独立綱領)、台湾の独自性を主張する民進党の蔡英文政権にとって、合意の存在は受け入れ難い。蔡英文は昨年5月の総統就任演説で、1992年に中台間で交渉があったという「歴史的事実を尊重」し、憲法などの中華民国体制を維持したうえで中国との関係を処理したいと述べたが、「92年コンセンサス」自体に言及したことはない。

圧力の裏に隠された習近平の柔軟性

 しかし、「6つのいかなる」のみを見て、習近平政権の対台湾政策が強硬路線一辺倒になると結論づけるのは早計である。なぜなら、政治報告からは、習近平がまだ蔡英文政権と交渉する余地を残していると見られる空間を読み取ることも可能だからである。習近平は政治報告の前段で過去5年間の成果を総括し、対台湾政策に関しては2015年に「両岸の指導者の歴史的な会見を実現」したことに言及した。そして、後段の各政策分野に関する部分で、台湾との対話の条件として、「『92年コンセンサス』という歴史的事実を承認し、両岸が同じ一つの中国に属していることを認めれば」、「あらゆる政党、団体」との往来が可能になると述べた。

 従来、中国は台湾に対して「92年コンセンサス」を「承認」あるいは「堅持」するよう呼びかけてきたが、これは2015年の中台首脳会談で初めて使われた言い回しで、「92年コンセンサス」があったという「歴史的事実」を「承認」すればよいのだという風にも読み取れ、蔡英文政権の立場ともかなり接近している。つまり、習近平政権は「92年コンセンサス」自体を取り下げるつもりはないが、何をもって蔡英文政権がそれを受け入れたと判断するのかについては、引き続き交渉の余地を残していると考えられる。

 そもそも、習近平政権の過去5年間の対台湾政策は、その重要な局面において、習近平自身による政治的決断だと思われる柔軟性を見せてきた。例えば、2015年の中台首脳会談は、その開催地や互いの呼称などをめぐって長らく落としどころが見つからなかったが、シンガポールという第三国における「指導者(領袖/領導)」同士の会談が実現した背景には、習近平の決断が大きく作用していたと見られる。また、同年5月、民進党の支援を受けて、無所属で当選した柯文哲台北市長が上海市との「双城論壇」に出席した際、「92年コンセンサス」は「理解し尊重する」にとどめた。それでも中国側は柯を受け入れ、上海市と台北市の交流を維持したが、この決定の背景にも習近平による決断があった可能性が高い。


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