つまり清田には、「世のため人のため。世の中にないものを作って社会に貢献する」という、はっきりした「生きる軸」があるのだ。これまでの仕事はすべてこの軸の上にあり、信念と言っていい。お祖母ちゃん子だった清田は、祖母の「崖をよじ登ってでも世のために尽くせ」という言葉を、肌身離さず生きてきた。そのこと自体、清田の素直さを表しているが、生きる軸が清田の筋金となっているから、それに乗った仕事なら局地戦など関係なし、少々譲っても自分が努力すれば周囲の力も得られるし、最後は世のためになる製品を作ることができる、言い換えれば、軸の上にさえいれば一歩退いたところで二歩三歩と進むことができると、疑いなく思っているのだ。
明確な軸を持っての「負けるが勝ち」で得られるものは、周りからの信頼だ。レコード針の一件でのメーカーの書面がそうだし、プローブを積層型に改良する際に合金の材料を探していた時には、大手メーカーが「いつも助けてもらっているから」と清田に協力した。
局地戦で四の五の言う人は、軸がないから譲る判断もできないし、何より自分に自信がない。だから局地戦の負けが自己否定につながると焦って、自分を大きく見せたがる。清田は「この部分なら、他にはないものがある、自分が生きる場がある。それが『抜きん出る』ということだと思います」と言う。他にはないものとは清田の技術力や努力量や責任感であり、生きる場とは人生の軸に沿った仕事のことだ。清田はあくまでも謙虚だが、抜きん出るものを持っていることが自信につながっているのだと思う。
軸を持ち、己を知れば、堂々と「負けるが勝ち」でいける。人から喜ばれ、さらに力を借りることができる。自信がつくのも信頼が深まるのも、そして大きな仕事ができるのも、すべからくそういうものだ。「世の中にないものを作って社会貢献」という信念に沿って、一歩下がって二歩進んできた事実が、清田の落ち着きのなかに「この人は」と思わせるオーラを醸し出している。清田が人生を振り返れば、そこには白くまっすぐな航跡が引かれているはずだ。
軸もなければ自信もない人が、局地戦人間になる。小戦闘での勝利がすべてだからいきおい場当たり的になり、いったい何を大事にして生きているのやら、人生の航跡は迷走している。それが人格となって周りに悟られていることに気づいていないのは、本人だけだろう。(文中敬称略)
■「WEDGE Infinity」のメルマガを受け取る(=isMedia会員登録)
週に一度、「最新記事」や「編集部のおすすめ記事」等、旬な情報をお届けいたします。