2024年12月19日(木)

中国メディアは何を報じているか

2018年5月10日

 事態を受けての北京大学の反応は早かった。翌5日に北京大学のBBS上に学長から学生たちへの謝罪文を掲載した。「鴻鵠の発音を知らなかった」と認めて陳謝し、文化大革命期に小中学生だったため、ろくな教育を受けられず、教科書もなかったと釈明した。原稿は自分で書いたものだとしたうえで、今後努力はするけれども、短日月に自分の漢字の判読能力を伸ばすのは難しいとした。

 謝罪文が出ると、素直に誤りを認めたことを賞賛する意見と、謝罪文が言い訳がましいとの批判の意見が出た。20世紀初頭に学長となり自由の校風を確立した蔡元培や、白話文学の提唱者で終戦直後に学長となった胡適と比較して、学長のレベル低下を嘆く声もあれば、今回の騒動を他山の石に、読み方の難しい漢字をマスターしようという記事もあって、議論百出している。本来それほど注目を集めない120周年が、これを機に大きく取り上げられ、逆によかったという意見もある。

学長の文化レベルの低下を嘆く声

 北京大学に限らず学長の文化レベルが低下していることを嘆く記事は、盛んに転載されている(http://www.sohu.com/a/230453992_176210)。清華大学や人民大学、厦門(アモイ)大学といった一流大学の学長が漢詩を読み間違えたり、ことわざの使い方を間違えたりしたことを批判した過去の議論を再掲したものだ。

 面白いものだと、歴代の北京大学学長の書を掲載したものがある。「北京大学の歴代学長の書、最後まで見て泣いた」というタイトルで(http://www.sohu.com/a/230718834_488308)、書の画像を延々並べているだけながら、文化的素養の低下が一目瞭然になっている。

 中国の場合、文革の影響もあって、学生の知的レベルが「後学恐るべし」程度では済まないくらいに教授を上回っているという、悲劇的な状況がままある。そういう、本当は正面から言えない実態を露にしてしまったのが今回の事態なので、反応は同情から罵倒まで世代や学歴、その人の生い立ちによってさまざまだ。

 とはいえ、大学の学長のレベルの低下というのは、中国に限った話ではない。日本でも理系の学長の話下手が嘆かれたりするし、政治ゲームにたけた人物が学長になるケースが多いのも有名な話だ。中国の場合、一流大学の学長に就くには、より苛烈な競争が待っているので、そもそも学長になるような人物に文化レベルの高さや教育への情熱を求める方が無理な話なのかもしれない。

 ともかく、一連の騒動は週末の大きな話題提供となった。「蔡元培が学長を務めた」「胡適がいた」といった、華々しいイメージの北京大学から、より地に足のついた北京大学像がこれで共有されたとすれば、必ずしも悪い話ではないのかもしれない。
 

  
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