豪雨の被害に対し、こころよりお見舞い申し上げます
記録的な豪雨となった新潟、福島両県で大きな被害が出ている。両県は2004年7月にも「7・13水害」とも呼ばれる大水害に襲われたばかり。テレビニュースでは「100年に1度クラスの豪雨がこの短期間に2度も・・・」と言葉を失う住民の姿が映された。
洪水、水害というと、ダムや堤防といった河川への人工的対策ばかりが注目されやすいが、河川と森林には深い関わりがある。日本の森林の実情について、専門家に取材した。
日本の森林の現状を
太田猛彦氏に聞く
歴史的に見て、日本の森林が現在どのような状態にあり、求められる対策は何か。治山・砂防、森林管理など森林に関わる幅広い分野が専門の太田猛彦・東京大学名誉教授に聞いた。
●日本の山は荒れているのですか?
それは多分にイメージ先行です。
実は、日本の森林は400年ぶりの豊かな緑に満ちており、山崩れは減少し、川の水も減り気味です。こういうと、誰もが信じられないと言うのですが、戦前や戦後すぐのころの写真を丹念に見ると、どこの農山村も背景の山は、いわゆる「はげ山」です。
例えば100年前に撮影された愛知県長久手町の写真を見ると、自然や環境をテーマにしたあの愛知万博の会場付近が、非常に荒廃しています。データを見ても、ここ半世紀の間、森林面積は変化していないのに、蓄積量(体積)は2倍以上に増えています。大半は人工林ですが、天然林も増えています。
江戸時代も山、特に里山に木はあまり生えていなかったと考えられます。左上の絵のように、有名な歌川広重の「東海道五十三次」に出てくる森は、下草が全然ないし、木はやせ地でも育つ松ばかり。広重に限らず、家茂の上洛図などさまざまな絵で、はげ山に近い情景が描かれていることを考えれば、これは決して技法ではなく実態だったのです。日本人は、木を資源、燃料として大量に使っていたからです。
明治政府は保安林制度や治山・砂防事業で荒廃地の復旧を行いましたが、国民の大部分は里山資源を必要とする農民であり、戦争もあって荒廃地は減りませんでした。そして戦後の資源不足で、奥山も大規模に伐採されました。
転機は昭和30年代です。拡大造林(大規模植林政策)の一方で、化学肥料や石油資源への転換、安価な外材(外国産木材)の輸入が進みました。国産材の需要は減りました。その結果、植生が劇的に変わりました。荒廃山地、採草地、薪炭林は消え、かわりにスギ・ヒノキを中心とする人工林が1000万ヘクタール超となり、全国の森林の約4割を占めています。
●森は荒れていないということですか?
いいえ。以前の荒廃と現代の荒廃では意味が異なります。現代の荒廃は、量ではなく質的荒廃です。最大の問題は人工林の手入れ不足です。