2024年11月22日(金)

佐藤忠男の映画人国記

2011年9月23日

 入間郡毛呂山町出身のダンカンは落語の立川談志に入門して立川談かんの芸名を貰ったのだが、のち“たけし軍団”のコメディアンになり、脚本にも進出し、ついには監督もやって「七人の弔(とむらい)」(2005年)が注目された。毒のある笑いが身上だ。

 爆笑問題の太田光は上福岡市(現ふじみ野市)出身。過激な社会批評的な漫才で売り出した。彼は以前、「草の上の仕事」(1993年)という実験的な映画に出演したことがある。大衆的なエンターテインメントの枠の中にはおさまりきらない部分を持っているタレントだと思う。

 近年は埼玉出身の映画監督が目立つ。石井裕也は学生映画からぴあフィルムフェスティバルで認められてプロ第1作の「川の底からこんにちは」(2010年)を発表したのが26歳。続く最新作の「あぜ道のダンディ」(2011年)も佳作で、いまいちばん若い映画監督だろう。

 入江悠は深谷市出身。「SR サイタマノラッパー」で2009年の日本映画監督協会新人賞を受賞している。

 萩生田宏治はさいたま市生まれ。「神童」(2006年)、「コドモノコドモ」(2008年)が才気のある作品だった。

『コクリコ坂から』 ©2011 高橋千鶴・佐山哲郎・ GNDHDDT

 アニメーションの監督に宮崎吾朗がいる。宮崎駿の長男である。父のスタッフに守られて父の作風をけんめいに追っているというところだが、第2作の「コクリコ坂から」(2011年)など、第1作の「ゲド戦記」(2006年)から進歩して良い作品になっている。

 演劇でいまトップの演出家のひとりである蜷川幸雄は川口市の出身である。高校を出てから青俳という新劇の劇団に入って俳優になった。映画にもよく出ている。社会派的で前衛的な作品が多く、一種の面魂があって、小さな役ばかりだったのにけっこう目立つ存在だった。演出家に転じてからスペクタクル性の豊かな才気あふれる舞台をつぎつぎにつくり出して世界的な人気のある大物になった。映画も何本か監督として作っている。(次回は新潟県)


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