武力鎮圧の模様は、イギリスのBBCやアメリカのCNNを始めとする、中国国内外のテレビ局によって世界中に中継されました。
その映像は無差別発砲による市民の虐殺と看做され、世界中から多くの非難が中華人民共和国に浴びせられました。あの時に印象的な映像は武力鎮圧のために進行する中国人民解放軍の戦車の前に1人の若者が飛び出して戦車の進路方向の前に立ち、その戦車の走行を阻止しようとしたことでした。あの若者がどうなったのかは知る由もありませんでした。
当時、僕は京倫飯店の道路側の部屋から楊尚昆率いる第五軍区の戦車が天安門に向かって走ってゆくのを目撃したけれども外出は許されていなかったのでCNNを見ながら「これは大変なことになっている」と思うしかありませんでした。
今もウイグル人が300万人以上が収監
武力弾圧に動員された中国人民解放軍の部隊は、「北京に知人、友人が少ないため、北京市民への無差別発砲に抵抗が少ない」という理由で戒厳令の施行後に地方(新疆ウイグル自治区など)から動員された部隊が中心と報道されました。
鄧小平は戒厳令を発動。1989年6月4日に兵士、戦車、装甲車が天安門広場に突入。天安門事件による死者は319人。負傷者は9000人などと発表されていますが、実際にはそれよりもはるかに多い被害者がでたものといわれています。
この天安門事件後、趙紫陽の後任となった江沢民主席は、民主化運動に国民が走らぬように「愛国教育」を強力に進めていくことになります。そして、現在では天安門事件の通称、「64」を中国国内から検索しても天安門事件に関する情報は一切は出てきません。それほど天安門事件は中国にとってタブー視されている訳です。
6月3日夜、天安門広場に軍の戦車と部隊が出動。4日朝にかけて、武器を持たないデモ参加者たちに向けて発砲し、多数を殺傷したことは紛れもない事実ですが、当局は後日、発砲による死者はゼロだと説明していました。
中国政府はこれまで、デモ参加者の死者数を明らかにしていませんがどうやら天安門事件の死者は実際には1万人によってのぼったとも言われています。
僕が北京にいる間に京倫飯店の一室で知り得たことは単にCNNを見ていただけで何もありませんでした。
まさか大量の群衆が毎朝散歩で約30分しかかからない天安門広場で虐殺されていたとは分からなかったのが実態でした(北京の京倫飯店(JALホテル)から天安門広場まで朝の散歩に30分かかりました)。
そして今も、中国国内でウイグル人が300万人以上も収容所の中で収監されているのが本当なのかどうなのかも知る由もありません。
あの日から30年も経ってしまったことも信じられない6月4日の朝です。
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