2024年12月22日(日)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2011年9月20日

「将来の首相候補」と噂されるも、出世レースに敗れ、冷や飯を食わされてきた薄熙来。重慶市書記就任以来、“重慶モデル”が称賛され、人々から支持を集めてきた。その薄が習体制で、党中央に入るか入らないかは、共産党の今後を占う重要な試金石となる。

 ポスト胡錦濤への扉が開かれる「十八大」(中国共産党第18回全国大会)の目玉人事は、いうまでもなく新指導部の顔ぶれだ。現在、9人の党中央政治局常務委員(=常委)のうち7人が入れ替わるとあって、この新たな椅子を誰が射止めるのかに注目が集まっている。なかでも「台風の目」と目されるのが薄熙来(重慶市党委員会書記)の処遇だ。

 なぜ、薄なのか。それはポスト胡のツートップが固まった2007年の「十七大」に遡る。実はこの大会の下馬評で、薄が将来の首相、つまり現在の李克強(筆頭副首相)のポジションを射止めるとの声が高かったからだ。

 地方で遼寧省長、中央で商務部長(大臣)を務めた薄は、中国で言ういわゆる縦軸と横軸を経験した人物であるだけに、十分その資格があると考えられた。

 だが、フタを開けてみると薄は重慶市のトップだった。しかも格下と見られた汪洋が広東省党委員会書記に抜擢されて空席となったポストへの配置とあって、権力の周辺はにわかに騒然となった。つまり、「十七大」人事での薄の無念が、党の新指導部にとっての“禍根”となるかどうかは、「十八大」で薄が指導部入りを果たすか否か次第というわけだ。

 長身で容姿に優れ洗練された雰囲気をまとう薄は、「自分の能力にも自信を持っている」というのが私の信頼する政界関係者らの一致した見方だ。

 こうした人物が冷遇された場合、高い確率で新権力への挑戦が起き、大きな政争を巻き起こすのが、1990年代以降に見られる中国の権力闘争の特徴だ。

 江沢民時代の陳希同(北京市党委員会書記)、胡錦濤時代の陳良宇(上海市党委員会書記)がまさにそれだ。薄一波という革命長老(党中央政治局委員兼国務院副総理を経て中央顧問委員会副主任)の息子として華やかな道――文化大革命の一時期には薄熙来自身も二年間監獄に入るという不遇の時代もあったが――を歩み続け、地方と中央で実力を認められて「将来の総理候補」と噂されたことを考えれば、ポスト胡錦濤の習近平さえ“格下”と見ていても不思議ではない人物だ。

捲土重来を目論む薄

 だからこそ薄煕来がトップに就いた重慶には全国の注目が集まった。そして薄の重慶は“地方”でありながら強い仕掛けを次々に打ち出し全国区の話題をさらうと、ついに“重慶モデル”は北京からの称賛も浴びたのだ。

 重慶の成功とは何か。実はそれは「唱紅打黒」「五個重慶」建設の八つの文字に集約される。

 「唱紅打黒」は「唱紅」と「打黒」に分けられ「唱紅」が意味するのは、革命歌を歌う政治運動だ。その目的は古き良き共産党のアピールだが、これが思わぬ懐古ブームを巻き起こし、人々から好評を得たのである。そして「打黒」は、09年に行われたマフィア掃討作戦だ。闇社会のドンが現役の公安局副局長(後に司法局長)という俗に言う“警匪一家”(警察とヤクザの区別がない)の典型だったが、摘発された地下組織は26団体、身柄を拘束された者は計4000人を超える「大掃除」で50人超の地方政府の幹部も逮捕された。事件の詳細は拙著『中国の地下経済』に譲るが、地下経済によって地方の利益を壟断する黒社会に正面からメスを入れたことで、薄は大衆から大喝采を浴びた。


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