2022年8月14日(日)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2011年9月20日

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富坂 聰 (とみさか・さとし)

ジャーナリスト

1964年、愛知県生まれ。北京大学中文系に留学したのち、豊富な人脈を活かした中国のインサイドリポートを続ける。著書に『苛立つ中国』(文春文庫)、『中国という大難』(新潮社)、『中国官僚覆面座談会』(小学館)、『ルポ 中国「欲望大国」』(小学館新書)、『中国報道の「裏」を読め!』(講談社)、『平成海防論 国難は海からやってくる』(新潮社)、『中国の地下経済』(文春新書)、『チャイニーズ・パズル―地方から読み解く中国・習近平体制』(ウェッジ)などがある。

 一方、「五個重慶」建設は経済の立て直しだ。人口3200万人を抱える重慶は世界最大の都市で、97年に「西部開発の拠点」とするため4番目の中央直轄地に格上げされたのだが、薄が書記に就任するまでの10年間は目立った成果もなく、常に「成都の影」に甘んじてきた。事実、重慶が力を入れた外資誘致も不発で、03年までの投資総額は5億ドルに届かず、03年から07年の合計もわずか10億ドルだった。

 だが、薄が書記になって以降、08年の外資の投資額は対前年比170%増の27億ドルとなり、西部12省のなかでも第6位から2位へと順位を上げ、翌09年には39億ドルを達成し、第1位の座を射止めたのだ。

 大衆人気を得た「唱紅打黒」に加え「五個重慶」建設による経済発展という手土産を引っ提げて、薄は次の十八大で捲土重来を目論むのだ。

 現状、薄のこの挑戦に対し、中央の反応もおおむね好意的だ。公の場での発言を追ってみるだけでも呉邦国全国人民代表大会常務委員長、習近平国家副主席、李長春常委、賀国強常委などが“重慶モデル”を称賛している。

転換点の共産党人事

 このため日本では、江沢民派(いつのまにか習近平も江沢民派にされているが根拠はない)と太子党(幹部子弟のグループ)が手を組んで現執行部に挑んでいると説明されるが、もとよりそんな単純な話ではない。

 『重慶日報』によれば、4月16日から18日まで党中央組織部長の李源潮が重慶を訪れ薄の取り組みを絶賛したというが、最初に言及したのは重慶の低所得者向け住宅の建設だ。低所得者向け住宅問題の責任者は李克強副総理だ。つまり日本で言う共青団派(共産主義青年団派=団派)の頭目だ。薄は、李克強の号令を最も忠実に守っているのだ。派閥では中国の政界を読み解けないことは、李源潮に絶賛された薄もすかさず「(重慶の現在の発展は)張徳瓴、賀国強、黄鎮東、汪洋という4人の書記の築いた基礎のため」と、とくに前任者の汪に配慮して語ったことでも分かる。

 この問題の難しさは、重慶への称賛と薄の評価は、実は必ずしも一致していないことにある。というのも重慶モデルの核心である「唱紅打黒」は、ともに薄の専売特許ではないからだ。

 まず「打黒」は09年、人民解放軍の施設がマフィアに襲撃され歩哨が武器を奪われた事件を受け中央が危機感を抱いたことに加え、現政権に影響力のある長老・宋平(元常委)が薄に問題解決を迫ったためだ。つまり中央の意思だ。さらに「唱紅」は、そもそも山西省が発信源の政治運動で重慶はパクリだ。

 ここで日本が注目すべきは、中央の政治家が次々と「唱紅」に乗っかる理由が薄への関心ではなく、大衆が「唱紅」を熱狂的に受け入れたことにある点だ。つまり薄の「唱紅」は、国内の不満を糾合する危険なポピュリストの芽さえ孕んでいるといえる。だからこそ「十八大」で薄を中央に取り込めば、共産党が中央人事にこれまでになかった“民意”という要素を受け入れるとの価値観の転換に直結し、共産党のガバナンスに揺らぎが生じる。一方、薄を受け入れなければ、“民意”無視にもつながることになる。いずれにせよ、習体制にとっては正念場の人事になることは間違いない。

薄熙来〔はく・きらい〕
重慶市党委員会書記1949年生まれ。中国社会科学院大学院卒。80年に入党。遼寧省大連市長、遼寧省長などを経て2007年より現職。父親は副総理を務めた薄一波。

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◆WEDGE2011年10月号『CHINESE PUZZLE2011』より

 

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