昨年冬に武漢で発生した新型コロナウィルスの感染拡大は、中国から世界へとその感染の拡大規模を広げていった。人から人への感染は、人の移動によって国境を越えて広がりをみせた。第Ⅰ波は、1月末の春節の休みを利用した中国人の大移動であった。中国全土及び世界への移動がそれである。その人達から、世界の各地に新型コロナウィルスが広がり、それが発症してきたのが2月中旬以降の第2波と言えよう。その頃から、各国は国境を閉め始めたが、既に国内に感染者が多数いる。その人達の移動を介して感染がさらに拡大したのが3月で、第3の波と言えよう。すなわち、①武漢から中国や世界へ、②世界から世界へ、③国内から国内へ、と新型コロナウィルスの感染は拡大していった。
現況を見ると、ヨーロッパ及び米国において急激な感染の広がり、死者数の増加により、いくつかの国、地域で医療体制が危機的状況に陥りつつある。注目すべきは、アメリカ、特にニューヨークにおける状況の悪化である。また、医療用マスク、防護服や人口呼吸器など医療機器の不足が深刻となっている。今回の危機において、各国の状況、危機への対応は、それぞれの国の状況、医療制度とともに、その国の政治、経済、社会、文化などの違いを表し、我々として考えさせられる題材を提供している。
3月20日付の英フィナンシャル・タイムズ紙には、『サピエンス全史』、『ホモ・デウス』などの著者であるイスラエルの Harariが、今回のコロナウイルス危機に関する興味深い論説を寄せている。Harari の論説は、当面する危機への短期的な対応ではなく、危機終了後の状況を見据えた我々、各国政府の対応について述べたもので、こういう危機の際に見失いがちな短期的な措置の持つ意義、中長期的な視野の重要性を教えてくれる。
Harariは、今回の危機に関して、2つの疑問を提起する。1つ目は、全体主義的な監視システムと市民による自主的な権利行使のどちらが良いかの選択の問題であり、2番目は、国家による孤立的な行動とグローバルな団結による行動との選択問題である。
Harari としては、権威主義的監視社会の危険性と国際協調の重要性を挙げる。
中国における国民監視システムは、監視技術の進歩によって近年飛躍的に強化されたと言われているが、そのシステムが今回の新型コロナウイルス危機の感染防止、特に武漢における都市封鎖及び感染者の封じ込めに大きな役割を果たしたであろうことは十分考えられる。このような監視システムが、民主主義国を含めその他の国々においても、テロ対策等の治安対策や今回のような感染症を含む公衆衛生の確保のために、恒常的かつ広範に利用される可能性がある。その場合、プライバシーの保護や人権尊重との関係で、どのように規制して使用していくかについて議論し考える必要があろう。
国際協力については、その必要性にもかかわらず、これまでの各国の対応は目前の問題に対するそれぞれ個別の国による一方的な措置の乱立であり、国際的な調整が不在である。一方、リーダーとなることが期待され、G7の議長国でもある米国の現政権にリーダーシップを望むことが出来ないことは、Harariの指摘する通りである。また、本来、世界的規模の疾病を監視し、調整する機能を有するWHO(世界保健機関)が、上手く効率よく機能していないことも、今回露わになった。トップの手腕にも疑義が寄せられている。
各国が自国の対策に精いっぱいであるような現状では、広範な国際協力・協調を望むことはなかなか出来ないが、少なくとも関係の国々においてそれぞれの成功・失敗を共有し合い、他国の経験から学んで取り敢えずの危機を乗り切るほかないのかも知れない。但し、危機が過ぎた後には、今後またいつ起こり得るかわからない同種の危機に対する国際協力のあり方、メカニズム等について、WHOの改革も含め、検討を進めることが必要であろう。
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