今年は4年ぶりの夏期オリンピックイヤーであり、ロンドンでスポーツの熱戦が繰り広げられた。そこで思い出されるのが、4年前の北京五輪の際に勃発したロシアとグルジアの間の戦争「グルジア紛争」1である。筆者はロンドン五輪の報道を見ながら、4年前のグルジア紛争を回想していたが、そのような時、ロシアから大きなニュースが入ってきた。
1:これは国家と国家の間に繰り広げられたれっきとした『戦争』であり、諸外国ではロシア・グルジア戦争、8日間戦争などと呼ばれているが、日本では一般的に「グルジア紛争」として報じられてきたので、本稿でも便宜的に「グルジア紛争」という呼称を用いる。
グルジア紛争4周年
ドキュメンタリー映像公開の意図
グルジア紛争4周年に合わせて製作された「2008年8月8日。失われた日」という47分のドキュメンタリー映像が、インターネット上で公開されたのである。紛争関係者の様々なインタビューが盛り込まれているが、それらの発言からは明らかにロシア指導部の「亀裂」を感じることができる。
上記ドキュメンタリーの内容はこれまで公にされてきた経緯と異なるものが多く含まれているのだが、特に興味深いのは、ロシア軍のバルエフスキー前参謀総長が、「軍最高司令官(すなわち、大統領)のグルジアへの派兵命令が遅かった」と当時のメドヴェージェフ大統領(現首相)を批判したことだ。
氏は、当時のプーチン首相(現大統領)が直ちに反撃を指示したのに「モスクワの最高指導部は責任を引き受けるのを恐れ」、派兵決定が遅れたため、民間人らの犠牲者が増えたと指摘し、また、派兵を最終的に決定したのは、メドヴェージェフ氏でなく、プーチン氏だったとの見解も示した。つまり、メドヴェージェフ氏を事実上批判する一方、プーチン氏を持ち上げているのである。
8月8日の会見
食い違うプーチンとメドヴェージェフの言い分
そして、プーチン氏は、グルジア紛争開戦4周年当日の8月8日の記者会見で、当時、首相として北京五輪開会式出席のため訪問していた北京から7日と8日にメドヴェージェフ氏、セルジュコフ国防相に電話し、開戦に踏み切るかどうかを協議していたと主張したのだ。また、同氏は軍事介入するように電話で促したかどうかについては明言を避けているが、グルジア側の南オセチアでの軍事行動は事実上8月5日に始まっていたとも指摘しつつ、軍事介入の決定まで「3日もかかった」と述べ、メドヴェージェフ氏が介入を即決できなかったことも暴露する結果となった。