2024年7月16日(火)

解体 ロシア外交

2011年9月1日

 2011年8月15日、日本は66回目の終戦記念日を迎えた。第二次世界大戦の体験者も年々減ってきている。日本の歴史において、第二次世界大戦が持つ意味は極めて重く、甚大な人命の喪失と敗戦国として背負った代償の大きさは筆舌に尽くし難い。

 他方、当時のソ連、そしてロシアを中心とするその継承国にとっても、第二次世界大戦(旧ソ連諸国では、「大祖国戦争」と呼ばれる。以後そのように記載する)の意味は非常に大きく、人命の喪失も甚だしかったとはいえ、戦勝国として大きな自信を得て、そこからいわゆる西側陣営との冷戦に突き進んでいった点で、その持つ「意味」は日本と大きく異なると言える。

旧ソ連諸国にとっての大祖国戦争の意味と
「勝利記念日」

 ソ連にとっての大祖国戦争は、「独ソ戦」が主たるものだと言える。人類の敵であるナチス・ドイツによる「独ソ不可侵条約」を犯しての奇襲による熾烈な戦いに勝利したことは、生まれたばかりのソ連にとっては極めて大きな誇りとなった。しかも、ロシア人の60%が、ロシアは同盟国の支援がなくても単独でドイツに勝利できたと考えているという(ユーリー・レヴァダ分析センターが実施した世論調査による)。

 そのため、各地に大祖国戦争を記念する記念碑やモニュメントが建設され(ただし、最近、エストニアやグルジアなど反ロシア的な諸国が、大祖国戦争のモニュメントを移動したり、破壊したりしており、それに対し、ロシアは激しく反発している)、現在でも毎年、ドイツに勝利した5月9日の「戦勝記念日」にはロシアはじめ、旧ソ連の数か国で独ソ戦勝利記念軍事パレードが華々しく行われる。また、ドイツが攻撃を仕掛けてきた1941年6月22日を記念し、ロシアはこの日を「記憶と悲しみの日」に制定している。このように、大祖国戦争は、ソ連が解体しても、ソ連諸国をつなぐ共通の誇らしい歴史の記憶であったと言える。

 実際、バルト三国(反ロシア的なスタンスで知られる旧ソ連諸国。現在はEU加盟国である)も、ソ連の独ソ戦での活躍については高い評価をしているようだ。すなわち、ナチス・ドイツから欧州を解放したのはソ連であるという見方である。ただ、その直後のソ連の行動により、評価は短期間に一転するのであるが…。

 このように、旧ソ連諸国では、大祖国戦争はドイツに対する勝利というイメージが強く持たれているが、ソ連時代には、もう一つの「戦勝記念日」があった。それは、9月3日の「対日本軍国主義戦勝記念日」(以後、「対日戦勝記念日」)である。一般的に「対日戦勝記念日」は、日本がソ連を含む戦勝国に対して降伏文書に調印した1945年9月2日にちなんで設定されることが多いが、ソ連や中国などは9月3日を対日戦勝記念日としていた。ソ連の場合は、降伏文書調印の翌日9月3日に戦勝記念式典を開いたことにその起源がある。

 だが、「対日戦勝記念日」を祝う慣習はソ連解体後にはなくなっていた。このことは、旧ソ連諸国にとっては「対日戦」の意味はあまり重くなかったことの証左と言えるだろう。

ロシアにとっての対日戦の意味の変化?

 しかし、2010年には「対日戦勝記念日」を復活させる議案がロシア連邦議会に提出された。ただし、事実上は「対日戦勝記念日」であるが、「第2次世界大戦が終結した日」としてその議論は進められた。そして10年7月14日に、9月2日を「第2次世界大戦が終結した日」とする法案を連邦議会が可決し、同月25日にメドヴェージェフ大統領が署名して、同法改正案は成立した。


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