2024年11月22日(金)

解体 ロシア外交

2011年9月1日

 そのような中で、戦後70年を迎える2015年を前に、シベリア抑留問題への対応が急務となっている。具体的には、抑留者や死亡者の身元確認を中心とした抑留の全体像の究明と抑留者への賃金未払い問題と補償問題である。

 2009年7月にモスクワのロシア国立軍司公文書館でシベリア抑留に関する新資料が最大で76万人分が発見された。このカードには、抑留者の名前、生年、収容所異動歴などが記載されていた。全抑留者を網羅する規模の資料発見は初めてで、抑留者や死者の総数確定などに寄与すると期待された。上述の数字より抑留者の数が多い理由は、抑留者の多くが収容所を転々とさせられていたため、移動の際に複数の記録が生まれたことにあると見られている。そして、政府も8月5日には、「シベリア特措法」に基づく、基本方針を閣議決定し、対応が強化されている。

 だが、今年の8月現在で、このロシア側の資料と日本側の資料の照合により、身元が確認されたのは2097人に過ぎず、身元は判明したが、埋葬地などが不明な抑留者の数も多いという。厚労省は、作業の迅速化のため、「照合ソフト」も開発し、なるべく早く埋葬地まで明らかにし、遺骨の収集まで進めていきたい意向を示している。やはり重要なのは当時の情報となるが、抑留者の中に生存者が少なくなっていることや、埋葬地の上に建設が行われていたりと、作業は思うように進まないという。今後、厚労省は、資料を誰でも閲覧できるように、死亡者名簿を国立公文書館に移すなど、情報収集に力を入れていくとのことだ。

 また、近年、抑留者の「未払い賃金」問題の解決が急務となってきている。当時のソ連政府は抑留者に対して労働証明書を発行しなかったため、日本政府も彼らに賃金を支払わないままで現在に至っているのだ。本問題も、上述の抑留者の身元確認が前提となる。ロシアに補償金を支払わせろという声も一部で高まっている。

続く戦後

 このように、日本とロシア・旧ソ連諸国では、第二次世界大戦の受け止め方は全く異なる。それは単に結果としての「敗戦国」、「戦勝国」の違いだけではなく、日本が喪失したもの、つまり抑留者や領土に対する考え方にも大きく反映している。それらに対して、「戦勝国」であるロシアは、自分たちの振る舞いがまるで当たり前であるかのような態度を示す一方、日本人にとっては「戦後」がまだ続いていると言って良い。今後のロシアとの関係には、常にこの「第二次世界大戦」の理解の齟齬が絡み合ってくるが、当時のソ連が条約や国際法への違反行為を行ったのも事実だ。日本は、ロシアと歴史認識の違いの溝を埋めながら、真の「戦後」を終わらせるべく、辛抱強い調査や交渉を続けていくことが求められるだろう。
 
 
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