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CHANGE CHINA

2021年5月18日

    【郭 建梅(かく・けんばい)
1961年、中国河南省生まれ。中国の女性権益を守るべく活動するプロボノ弁護士の第一人者。「北京大学法学院女性法研究サービスセンター」、「北京衆沢婦人法律諮問サービスセンター」の設立に尽力。現在は「北京千千弁護士事務所」の代表を務める。2005年ノーベル平和賞候補者、11年アメリカ合衆国国務省「国際勇気ある女性賞」、19年「ライト・ライブリフッド賞」など受賞歴多数。
           イラストレーション=阿部伸二 Shinji Abe

 近頃の郭建梅(かくけんばい)さんは執筆活動に忙しい。彼女は25年間にわたって行ってきた、中国の女性権益を守るためのプロボノ活動に対する思いを一冊の本にまとめようとしている。

 プロボノ活動とは、職業上のスキルや専門知識をもつ専門家が、それらを生かして社会に貢献するボランティア活動のことだ。

 「タイトルはまだ決めていません。実は出版できるかどうかもわかりません」。郭さんは1995年から着手したプロボノ活動の実績よりも、失敗と教訓に重点を置いてまとめたいと考えているため、批判と反省に関する記述が多く、政府はきっと喜ばないだろう、という。

 中国のプロボノ活動は90年代中期に芽生えた。少しずつ豊かになり始めていた中国人は「社会公益」に目を向けた。真っ先に行動したのはエリートである弁護士たちだった。

 偽物や不良品の販売が横行していた中国で消費者の権益を守る活動や、出稼ぎで都会に出てきた農民の子どもが満足な教育を受けられない不平等さを是正する活動、環境保護を訴える活動、人権侵害を非難する活動 ──。さまざまな性質の無料の法律相談事務所が次から次へと設立された。郭さんもその中の一人で、彼女らのことを中国では「プロボノ弁護士」と呼んでいる。

 中国河南省の農村に生まれ育った郭さんは、子どもの頃から男尊女卑の根強い環境で成長してきた。社会主義国である中国は「妇彈擻顶敿边揤」(女は天の半分を支えることができる)という男女平等のスローガンを唱えてはいるものの、伝統的な農村の父権尊重意識の強さは今でも変わらない。郭さんの父方の祖母は、夫の暴力に怯え、蒸しパンを食べることすら許されず餓死した。母方の祖母は、女の子ばかりを出産したという理由で夫に離縁された。

 幼い頃から目に焼き付いていた〝弱い〟立場の女性の運命は、郭さんのその後の人生を大きく左右した。のちにトップの成績で中国の名門・北京大学に合格した彼女は、法学部に進んだ。

 95年に北京で行われた第4回世界女性会議(北京会議)は、郭さんの人生を変えた。雑誌『中国弁護士』の記者として、その場を取材した郭さんは、そのときに初めて「NPO(特定非営利活動法人)」「プロボノ」という言葉を耳にした。米国のヒラリー・クリントン元国務長官の講演「Women's rights are human rights」に深い感銘を受け、一念発起した。

 そのときの中国は、6億人以上の女性人口を誇りながらも、女性向けの専門的な法律援助機構はまだ一つもなかった。郭さんは、これこそが自分の歩むべき道だと決意し、その3カ月後には記者を辞め、有志と共に中国で初となる女性専門の法律扶助やその研究を行うプロボノ民間組織「北京大学法学院女性法研究サービスセンター」を設立した。


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