チャイナ・ウォッチャーの視点

2021年3月30日

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樋泉克夫 (ひずみ・かつお)

愛知県立大学名誉教授

中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社刊)など。

[著書]

 今から100年前の1921年に、中国共産党は上海で呱々の声を上げた。建党100周年に当たる今年、習近平国家主席は一強体制の基盤強化を図りつつ、経済力と軍事力を背景にアメリカに対し一歩も引かない。欧米諸国による中国包囲をものともせず、「中国の夢」を実現しようという構えを崩そうとしない。

 だが、昨今のバイデン米政権が見せ始めた厳しい対応、新疆におけるウイグル族を巡る人権問題に起因する欧州諸国の動きなどから判断して、「中国の夢」を取り巻く内外環境には想定外の厳しさが加わりつつあると見て間違いないはずだ。

 はたして「中国の夢」は、習近平政権が思い描いているがままに実現するのか。改めて共産党政権の過去から、この問題を考えてみようと思う。そこで、時計の針を半世紀昔の1971年に戻すことにする。

(dk1234/gettyimages)

 文化大革命さなかのこの年、建党50周年を記念して『紀念中国共産党五十周年 1921-1971』(人民出版社 1971年)が出版された。そこに結集した文革時代の理論権威が、当時の「中国の夢」を熱く語り掛けている。

 「我が党の名称と我われの掲げるマルクス・レーニン主義の世界観は、我が党の基本綱領が資本主義と一切の搾取階級を徹底して粉砕するものであることを明確に指し示している。プロレタリア独裁によってブルジョワ独裁に、社会主義に基づいて資本主義に勝利する。共産主義を実現することこそが、党の最終目的である」と、先ずは高らかに宣言してみせた。

 資本主義を葬り去った毛沢東の革命は全国労働人民の歓呼に迎えられたものの、その一方で次々と悪辣な反党策動に巻き込まれてしまう。そして遂に最大の難敵であり「一貫して社会主義改造に反対してきた」劉少奇が正体を現し、共産党との最終決戦の火蓋が切って落とされた。これが文化大革命だった、ということになる。

 毛沢東は一連の「輝かしい著作」によって、劉少奇一派の進める私欲・私心を刺激しての経済発展策の誤りを徹底批判した。劉少奇一派の策動を打ち砕くことで「工業と農業の生産は発展を重ね、党の過渡期総路線は偉大なる勝利を勝ち取った」と評価する。

 だが、劉少奇一派の策動は止むことがなかった。

 「毛主席に背き、〔中略〕全党を資本主義の道に引きずり込もうと妄動を止めない」。そこで毛沢東が文革を発動したがゆえに、「いまや帝国主義は全面崩壊に瀕し、社会主義は全世界で勝利に向かう輝かしい時代となった。共産党が生まれた半世紀昔を思い起こすなら、全世界の革命への情勢は空前の素晴らしさである」と、当時の世界情勢を総括したのだ。

 かくて『紀念中国共産党五十周年 1921-1971』は、最後を「偉大なる領袖毛主席万歳、万歳、万々歳」で締め括ったのである。

 当時の中国を取り巻く内外情勢を思い返すと、文化大革命を発動した毛沢東は最大の政敵であった劉少奇を屠り去り、国内では絶対的権威を確立した。一方、対外的には正面にニクソン大統領に率いられた「アメリカ帝国主義」、背後にブレジネフ書記長を戴く「ソ連社会帝国主義」――東西両陣営の超大国を向こうに回し、アジア・アフリカの国々を統べる第三世界の盟主を任じていた。

 つまり当時の「中国の夢」は毛沢東思想によって世界を導き、「共産主義を実現すること」だったのである。

 いま振り返ってみれば、生硬気味で勇ましい言葉の羅列に鼻白む思いがしないでもないが、では毛沢東は「中国の夢」の実現に向けて、どのように中国を率いていたのか。

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