2022年12月8日(木)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2021年3月30日

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樋泉克夫 (ひずみ・かつお)

愛知県立大学名誉教授

中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社刊)など。

[著書]

毛沢東を過剰なまでに賛美することで
「夢」が実現すると考えていたのか?

 1957年11月、ソ連の「10月革命40周年記念式典」に参加するためモスクワを訪問した毛沢東を迎え、ソ連共産党を率いるフルシチョフは「ソ連は15年でアメリカを追い越す」と豪語する。

 アメリカ帝国主義との間で「平和共存」の道を求めるフルシチョフを社会主義陣営に対する裏切り行為と見なす毛沢東は、「ならば我が国は15年で鉄鋼などの主要工業生産高でイギリスを追い越し(超英)、アメリカに追いつき追い越す(赶美)」と応じた。まるで売り言葉に買い言葉だった。

 まさに1950年代末期の毛沢東にとっての「中国の夢」は「超英赶美」であり、「超英赶美」を実現させた実績を背景に社会主義陣営の頂点に立つことだっただろう。

 ソ連から戻った毛沢東は、早速、「中国の夢」の実現に向けて野心的で超強気な方針を打ち出す。1958年8月下旬に中央政治局拡大会議(北戴河会議)を召集し、鉄鋼増産運動・人民公社建設を柱とする大躍進政策を決定したのだ。

 毛沢東版の‟欽定共産党史”ともいえる『中国共産党歴史簡編』(王実ほか 上海人民出版社 1958年)は、「老幹部の教育用」に「関連する歴史変動の全体構造を叙述し、各時期の歴史的条件の全面的分析と党の路線・政策の研究に重点を置いて」編集されたものだが、毛沢東賛辞に溢れ返っている。

 ――「毛沢東同志は我が国の英雄的なプロレタリア階級の傑出した代表であり、我が国の偉大なる民族の優秀なる伝統を備えた傑出した代表であり、彼は天才的な創造的マルクス主義者であり、人類最高の思想であるマルクス主義の普遍的真理と中国革命の具体的実践とを結合させ、しかるに我が国民族の思想をこれまで到達したことのなかった高みにまで引き上げ、限りない災難を背負わされた中国民族と中国人民のために徹底した勝利に至る正しい道を指し示した」。

 「毛沢東同志とその思想の導くところに従えば革命は勝利し、発展し、毛沢東同志とその思想の導くところに逆らう時、革命は失敗し後退する」――

 このようにして毛沢東の指導の下で「正確な政治路線と軍事路線とを歩み」、帝国主義を中国から追い払い、「党内の右傾機会主義と“左”の傾向を時宜に適して正し、国内反動派を打ち破り偉大なる勝利を勝ち取った」という結論、つまり毛沢東による正統共産党史観が導かれる。

 さらに「中国革命の勝利はマルクス・レーニン主義の新たな勝利であり、この革命は殖民地・半殖民地の国家における革命の典型である。この革命の勝利は一歩進んで帝国主義陣営を弱体化し資本主義陣営の矛盾を先鋭化させ、世界の2大陣営の対立競争において社会主義陣営に有利な変化をもたらす。この革命の勝利は、全ての圧迫された民族の反帝国主義闘争をこのうえなく鼓舞し推し進める。それゆえ、この勝利は世界的意義を備えた勝利なのである」と、毛沢東に導かれた中国革命の勝利を最大限に讃えた。

 あるいは当時の中国は、このように美辞麗句を重ね、毛沢東を過剰なまでに賛美することで「中国の夢」が実現するとでも考えていたのか。

 じつは、一連の毛沢東賛辞は当時の共産党No.2である劉少奇によって発せられたものだが、その劉少奇は大躍進が結果として招きよせることになる災禍を「天災でなく人災だ」と切り捨て、結果的に毛沢東の顔にドロを塗ってしまう。かくして数年後、劉少奇は文革の標的とされ、「中国のフルシチョフ」「資本主義の道を歩む実権派」として断罪された末に、抹殺されてしまったのである。

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