チャイナ・ウォッチャーの視点

2021年3月21日

»著者プロフィール
閉じる

樋泉克夫 (ひずみ・かつお)

愛知県立大学名誉教授

中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社刊)など。

[著書]
(VichienPetchmai/gettyimages)

 3月4日に開幕し11日に幕を閉じた今年の全国人民代表大会と全国政治協商会議は、結果として、より強化された習近平一強体制を内外に印象付けた。今後の内政の焦点は習近平体制の半永久化に向けた動きであり、外交面では対米関係となる。

 そこでメディアの関心は、政治・経済・外交にかかわらず勢い〝大人の政治〟に向けられる。それは致し方ないことだが、「中国の夢」の実現を目指す強力政権の下で、中国の子どもたちは、いったい、どのような環境に置かれているのか。ふと考えてみた。それというのも現在を生きる子どもたちが、やがて中国の将来を担うことになるのだから。

 中国大陸のほぼ中央に位置し、漢民族の故地とされる黄土高原が広がる黄河流域の陝西省勉県で2月17日、6歳半になる男の子が行方不明になり、半月後に見るも無残な姿となって犯人宅から発見された。まるで4半世紀ほど昔の神戸で発生した忌まわしい事件を思い起こさせるようだが、犯人は近所の13歳半の生徒で、出稼ぎで家を留守にしている両親に代って祖父母が面倒を見ていたとのことだ。

 おそらく中国でも犯罪の低年齢化が進んでいるからだろう。昨年末、刑事犯の対象年齢が引き下げられ、12歳から14歳未満が起こした故意の殺人、傷害致死などの重大事犯には刑事責任を負わせるよう刑法が改められている。

 だが、この改定は今年3月1日施行とされていたことから、この事案には適用されない。そこで「悪魔に死刑の判決を」との両親の訴えは、法律の壁に無惨にも阻まれたのである。

 3月5日、同じ陝西省の宝鶏扶風県の小学校でも事件が起きている。小学校2年生の女の子の答が間違っていたことから、数学の女性教師が筒状に巻いた紙束で顔面を殴打したというのだ。よほど固く巻いたうえで強く殴ったのだろう。女生徒の頬は傷つき、右目は失明の恐れもあるほど重傷らしい。

 ところが教師は生徒を病院に連れて行くこともせず、流れる鼻血を止めるためにチョークを鼻の穴に押し込んだという。よほど激高したと思われるが、やはり尋常ではない。

 教師は直ちに担当を外され調査を受けた。一方、被害者である女の子は心に傷を負い夜には泣き出し、外出を怖がるようになったとも伝えられる。

 3月17日、陝西省から東北方向に遥か遠く離れた大都市のハルピン市では、残忍な親殺しが発覚した。同地の公安当局の発表によれば、15歳の少女が口論の末に母親を殺害し、冷蔵庫の中に3カ月ほど隠していたというのだ。

 父親は出稼ぎで長期不在。彼女と弟の養育は専ら母親が担っていた。近所の話では静かな少女で両親との関係は良好だったとのことだが、進学を望まず、母親との間ではイザコザが絶えなかったらしい。犯行は昨年12月3日に行われ、証拠隠滅作業の後、少女は「母親は知らない人と家出した」と語り、母親が〝失踪〟した後は学校にも行かずブラブラしていたと報じられている。

 短期間に起きた犯罪であり、そのうえ中国は広い。だから陝西省とハルピンの僅か2カ所で行った事件だけ俎上に載せて「現在の中国社会は……」などと軽々な判断を下すつもりはない。だが家族の温もりは薄れ、教師は子供を可愛がらない様子に思い至ると、現在の中国社会の底辺環境は子どもにとっても生きずらそうに想像してしまう。

 かつて文化大革命の時代は子どもが子どもとしてではなく、社会に役立つ「小さな大人」として扱われ、大人に伍して胸を張って生きるよう求められた。当時盛んに出版された子ども向け小冊子には、そんな「小さな大人」が溢れている。 

 たとえば『幼苗 小学生作文選』(広西中小学教材編写組編 広西人民出版社 1973年)である。

 表紙を開くと、「我われの教育方針は、教育を受ける者が徳育、知育、体育などの凡ての面で成長を遂げ、社会主義の覚悟を持った文化的労働者となるように努めること」であり、「学業を主としながら、別のことも学ぶ。つまり文を学ぶだけではなく、工業も、農業も、軍事も学ばなければならないし、ブルジョワ階級をも批判しなければならない」との『毛主席語録』の一節が掲げられている。 

 収録されているのは、「聴老紅軍講革命故事(元紅軍兵士から革命の話を聞く)」「祭掃烈士墓(烈士の墓を清め祭る)」「雷鋒精神鼓舞着我(雷鋒精神がボクを鼓舞する)」「可愛的家郷(愛すべき故里)」「教媽媽学文化(母さんに勉強を教える)」など18作品。

 題名からも、「徳育、知育、体育などの凡ての面で成長を遂げ、社会主義の覚悟を持った文化的労働者とな」らんと願う幼苗、つまり子供の健気なまでの「小さな大人」ぶりが窺えるだろう。

 18の作品の中から典型例として、小学校3年生の沈明クンが記した「聴老紅軍講革命故事」を挙げておきたい。

 学校の革命委員会が招いた老紅軍兵士の語り部が、革命戦争での苦労を小学生に聞かせる。激戦に継ぐ激戦で食糧が尽きた。「兵隊サンたちの食べ物といえば、牛の皮、野草などで戦場生活は困難を極めました」。飲まず食わずの1週間が過ぎ、戦友はバタバタと斃れる。戦友は自分が携行していた僅かな食糧と水を差し出しながら、「『キミが食べろ。オレはもうダメだ。キミは食べて毛主席に従って革命を成し遂げ、中国全土を解放してくれ』というや息を引き取ったのです。光栄なる犠牲でした」。

 これが老紅軍兵士が子どもたちに聞かせた主な内容だが、当然のように沈明クンは感動し、「老紅軍兵士の話でやっと判りました。ボクらの今日の幸せな生活は、数えられないほどの革命先烈の尊い血の犠牲の上に成り立っているんです。ボクらはマルクス・レーニンと毛主席の本を一生懸命に学び、努力して社会主義文化の課程を身につけ、同級生としっかりと団結し、労働を熱烈に愛し、プロレタリア階級の革命事業の後継者にとなり、偉大なる祖国の紅色の山河を永遠に変色させないよう誓います」と。健気なまでの決意表明だ。

 この作品を、「老紅軍兵士が語る革命の苦労話を通し、革命の伝統を受け継ぎ発揚させようとする筆者の決心が見事に表現され、プロレタリア革命事業の後継者になろうという堅忍不抜の志が現れています」と、教師は手放しで称賛する。

 沈明クンと教師の間は、さぞや麗しい革命精神で繋がっていたことだろう。

 『我写児歌来参戦』(人民文学出版社 1974年)には、全土を挙げて巻き起こっていた批林批孔運動に勇躍として馳せ参じた「北京西北四小学校の広範な少年少女」の詩や歌が収められている。そのいくつかを見ると、

 「偉大な主席の一声で、批林批孔の幕が開く。工農兵が立ち上がり、革命の火は燃え盛る。批林批孔が高まって、灼熱の鉄迸る。歴史を後に戻すまい、赤旗高く掲げよう。批林批孔が高まって、田圃や畑は燃え盛る。林彪孔子を許さない、天まで届け雄叫びよ。批林批孔が高まって、解放軍は立ち上がる。手にした銃を握り締め、ハガネのような強い意志。批林批孔が高まって、ボクたちだって参戦だい。手にした鉛筆を武器にして、林彪孔子の悪暴く。主席がデッカい手を振れば、全国人民歓呼する。批林批孔の闘いは、勝利の時まで続くのだ」(「批林批孔大開展」)

 「鎌と鞄を背に負って、大地はすべて足の下。胸張り志気はいや高く、この身を捧げる農業に。輝く道をボクは行き、世界の果てまで赤旗だ」(「立志務農把根扎」) 

 「ボクらの意気は盛んです。小さな体に怒り充つ。階級闘争忘れずに、修正主義は許さない。毛主席の思想を日々学び、いよいよボクらは強くなる」(「紅小兵越煉越堅強」)

 ――こんなリッパな考えを持った子どもである。近所の幼児や、あるいは母親のイノチを奪おうなどという空恐ろしい考えが浮かぶことなどなかったはずだ。

 あれから半世紀ほどが過ぎた。

関連記事

新着記事

»もっと見る