チャイナ・ウォッチャーの視点

2020年8月13日

»著者プロフィール
閉じる

樋泉克夫 (ひずみ・かつお)

愛知県立大学名誉教授

中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社刊)など。

[著書]
(pengyou91/gettyimages)

 7月中旬のことだったが、タイの華字紙『世界日報』が「30省市の小中学校で図書の整理・再点検」と題し、中国全土の小中学校図書館における所蔵図書徹底点検の実施状況を報じていた。

 中国教育部が全国の小中学校図書館に向けて図書の整理・審査・廃棄を指示したのは、たしか昨年10月中旬だったと記憶する。指示に依れば破損の有無、海賊版であるかどうか、記述が今日の状況に適合しているかどうかなどを点検したうえで、内容が法律に違反したり不適当であった場合には廃棄処分を行え、とのことだった。

 いよいよ学校現場での作業が進められているのだろう。

 「国家の統一、主権、及び国土保全を妨害し」、「社会の秩序を擾乱させ、社会の安定を破壊し」、「党の路線方針に違反し、党と国家の指導者と英雄・模範的人物を侮辱・蔑視すること」が法律違反であり、「社会主義の核心的価値観に符合ぜず」、「宗教の教理・教義・教規を宣揚し」、「偏狭な民族主義・種族主義を宣揚すること」が不適当な事例に当たるらしい。

 やや勘繰ってみれば、破損やら海賊版云々は取って付けたような理由としか思えない。真の狙いは別にあるはずだ。つまり習近平政権が推進する路線にそぐわない内容の図書は小中学生の目に触れさせるな。学校から一掃してしまえ。全国の小中学校図書館を習近平国家主席を礼賛する図書で充たせ、と命じていることが判ろうというもの。

 幼児向けの絵本、主婦のための料理本、家庭用医学書、農業技術書から哲学や歴史のみならず、はては理系の専門学術書まで、ありとあらゆる印刷物が「百戦百勝」「絶対無謬」を冠された毛沢東思想に対する賛辞で充ち溢れていた文革当時を、否応なく思い起こしてしまう。

 現場での作業だが、これが教員に過重な負担を強いているらしい。

 農村の中学校教師の体験談が報じられているが、それによれば4月下旬から放課後を利用して図書審査の本格作業が始まり、休日抜きで毎日5、6時間を費やして学校中の図書に当たった。その結果、100冊ほどが教育部の規定に適ったそうだ。この数は多いのか、少ないのか。ともあれ、それ以外は習近平政権にとっては都合が悪い図書ということになるだろう。

 「中華民族の偉大な復興」や「中国の夢」を内外で強く打ち出しているにもかかわらず、習政権の治政を高く評価し教育(宣伝、洗脳?)する関連図書が小中学校の図書館には完備されていたわけでもない。ということは「戦狼外交」を旗印に、トランプ米政権を筆頭とする西側諸国の反発を逆撫でするかのような過激な海外進出策を推し進める習政権ではあったが、小中学生教育までは手が回らなかったのか。それとも手抜かりだったのか。いずれにせよ、将来を担う小中学生に向けた対策を怠っていたことに間違いはなさそうだ。

 学校全体で保管している図書の数が不明であり実態は定かではない。とはいえ相当数の図書が教育部の基準に適合せず整理(焼却?)されたはず。そのなかには連環画と呼ばれる伝統的絵物語、キリスト教や仏教などの宗教書、ジョージ・オーウェルが独裁国家を強烈に批判した小説『1984年』も含まれていた。

 まさか『1984年』に描かれる独裁国家オセアニアの独裁者であるビッグ・ブラザーに習国家主席を重ねさせてはならないと、教育部が忖度したわけでもあるまい。そういえばオセアニアでは、超独裁者のビッグ・ブラザーが個々の国民の心の領域までも監視・操作していた。究極の超独裁国家である。

 一連の措置を習近平政権下での焚書とまでは言わないが、1976年に文革が幕を閉じてから数えて40数年振りの図書館審査と伝えられているだけに、思想統制の一環と言っておきたい。内外から伝えられるところを総合すると、習政権下の中国はジョージ・オーウェルが描き出したオセアニア化の道を邁進しているように思える。とするなら習政権が目標とする「中華民族の偉大な復興」の行き着く先は、やはり巨大な夜郎自大国になる可能性は大だろう。

 なぜ、昨年10月の時点で教育部がこのような指示を行ったのか。その背景として思い至るのが、昨年6月以来の香港における一連の過激な反中運動である。愛国教育の欠如が香港の若者を過激化させたとの認識に立つなら、予防措置として小中学校における政治教育強化を打ち出したとしても、強ち不思議ではない。

 若者の教育(洗脳)こそ共産党政権にとっての最重要課題であるだけに、教育部が次にどのような方針を打ち出すのか。中国において民主化を求める“声なき声”に注意深く耳を傾けながら、慎重に観察を続けたいと思う。

関連記事

新着記事

»もっと見る