2023年2月7日(火)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2020年8月13日

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樋泉克夫 (ひずみ・かつお)

愛知県立大学名誉教授

中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社刊)など。

[著書]

『共産党宣言』は今やタテマエに過ぎなくなったとはいえ共産党の原点

 ところで教育部が挙げた推薦図書には初老の黒人奴隷の数奇な人生を描いた『アンクル・トムの小屋』、第1次大戦中にカナダ軍兵士のマスコットとして可愛がられた子熊のウィニーをモデルにした『クマのプーさん』などが見られるが、前者では過酷な奴隷制度を告発し、後者ではクマにも愛情を注ぐ兵士の姿から人民解放軍兵士の優しさを伝えようとでも目論んでいるのか。

 興味深いのが、『共産党宣言』に加え『毛沢東詩詞』も含まれている点だ。

 『共産党宣言』は今やタテマエに過ぎなくなったとはいえ共産党の原点であることに違いはないのだから、やはり必読書であるはずだ。再度言う。たとえタテマエに過ぎなくても、である。『毛沢東詩詞』は詩人革命家としての毛沢東の気宇壮大な世界を行間に浮かびあがらせ、若者に勇壮闊達な思いを抱かせるに十分だ。

 おそらく現在の中国指導部を形成する習主席らは文革当時、紅衛兵や紅小兵として『共産党宣言』をキマジメに学習し、『毛沢東詩詞』を『毛主席語録』と同じように声を限りに読み上げ、革命への闘志を燃え上がらせたことだろう。彼らにとって文革は、若き日の“心のふるさと”であり続けるはずだ。今もなお文革は、公式に全面否定されているわけではない。

 5月28日に行われた全国人民代表大会閉幕後の記者会見において、李克強首相が四川省の成都を念頭に、「当地の規則に従って3.6万に及ぶ移動可能な店舗を許可したことにより、短時間で10万人の就業機会を創出した」、「全人口の43%ほどの6億人が月収1000元(約1.5万円)だ」と語っている。

 この発言を李首相による「地攤経済(屋台経済)」の提唱と捉え、新型コロナ後の経済運営を巡る習国家主席との間の意見対立を示唆する報道がなされる一方で、我が国メディアの一部からは権力闘争への発展を“期待”する声も聞かれたものだ。

 中国国内では共産党政権の思想教育・言論統制機関である共産党中央宣伝部を中心に、街頭における屋台の取り扱いを巡って地方政府を巻き込んで混乱が見られた。「成都模式(モデル)」と讃えて屋台を奨励したり、警察を動員して暴力的に屋台業者を取り締まったり、地方政府によって対応はマチマチだった。前者が李首相を、後者が習国家主席の意向を忖度しての措置であることは容易に想像できる。

 このような屋台経済を巡る当局者の混乱は、中国の官僚世界――中央政府から地方政府まで――では依然として封建王朝以来の「拍馬屁(ゴマすり)文化」が健在であることを示している。上司の胸の内を忖度して、正式の指示が下される以前に先手を打っておくことが出世に繋がるという永遠のカラクリである。

 6月1日、視察先の山東省の煙台において「屋台経済、零細商店経済こそ社会の烽火であり、中国の活力である」と語った時、おそらく李首相の頭の片隅に文革時代に絶叫したであろう「自力更生」の4文字が浮かび上がったことだろう。

 いま、1966年5月14日に人民解放軍機関紙『解放軍報』に掲載された論文「大都市でのスイカ販売哲学問題を語ろう」を思い出した。そこには毛沢東思想を学習することでスイカ販売に関する各種の矛盾を自力で解決し、「大量のスイカをどしどし市場に出すと同時に、大幅にロスを減らし、経費を切り詰め」、自力で販売実績を伸ばした業者の経験が綴られている。そういえば文革当時、「自力更生」は「社会主義革命と建設を主に自己の力量を最大限に発揮して遂行することをいう。現在、個人、集団、国家の行動指針となっている」と解かれていた。

 「屋台経済、零細商店経済こそ社会の烽火であり、中国の活力である」と説く李首相の思考回路は、なにやら文革時代に回帰しているようにも思える。それにしても、である。世界第2位の経済規模を誇る経済大国を引っ張るツー・トップの間が屋台問題でザワツイテいるとは、なんとも不思議で奇妙な光景だ。

 こんなことで、はたしてトランプ政権が次々に繰り出す一連の強力な中国敵視政策に対抗できるのだろうか。“他人事”とはいえ、にわかに心配になってきた。

  
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