チャイナ・ウォッチャーの視点

2020年5月16日

»著者プロフィール
閉じる

樋泉克夫 (ひずみ・かつお)

愛知県立大学名誉教授

中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社刊)など。

[著書]
ロヒンギャ難民(AP/AFLO)

 新型コロナ問題が、ついにロヒンギャ族を直撃した。感染被害拡大を容易に招くであろう難民キャンプの劣悪な生活環境はもちろんだが、苦難の果てにやっとたどり着いたマレーシアで、いま新たな危機に直面しているのである。

 2017年8月末、ミャンマー中央政府軍は、ミャンマー西部に位置しアンダマン海に臨むラカイン州に住むイスラム教徒のロヒンギャ族の強制排除に乗り出した。独立を求めて戦う反政府武装勢力を排除し、国内の治安維持が大義名分だが、せんじ詰めれば仏教国にイスラム教徒は不要ということではなかろうか。やはり欧米諸国が強く非難する「民族浄化」の狙いは否定しようもない。

 以来、多くのロヒンギャ族が故郷を脱出せざるをえなかった。73万人超が陸路で同じイスラム教徒の国である隣国バングラデシュに逃れたが、陸路を西にたどりタイ側に設置された難民キャンプを目指したり、東に向かってヴェトナムに逃れた者もいた。さらにタイランド(シャム)湾に乗り出し船で対岸の南タイ沿岸やマレーシア東海岸を目指した人々もいた。

 マレーシアに辿り着いたロヒンギャ族難民に対し、いまマレーシアで「これからも彼ら難民を受け入れるべきか」との議論が持ち上がっている。ことに新型コロナ感染問題が深刻化して以降、難民の国外退去を求める声が聞こえてくるようになった。国内での感染封じ込めが社会の混乱を招き、国民に不自由な生活を強い、結果として経済状況は逼迫し、国家財政に過重な負担を強いている窮状から、現在の難民政策に加え外国人労働者受け入れ政策も見直すべきだ、というのである。

 そういえば難民問題は起こってはいないものの、隣国シンガポールでは劣悪な居住環境に在る外国人労働者が新型コロナの集団感染源と見做され、厳重な管理下に置かれているだけに、いずれ「新型コロナ後」には彼らの処遇に対する根本的見直しは必至だろう。

 安価な労働力というだけで安易に外国人労働者を大量に受け入れることは、当面の労働力不足を補う効果をもたらすにせよ、社会不安、さらには国家の安全保障にまで影響を与えなかねないことを、マレーシアやシンガポールの苦悩が教えてくれる。

 4月16日、200人前後のロヒンギャ族を乗せた難民船が、アンダマン海のタイ領に近いリゾートのランカウイ島に接近し上陸を求めた。マレーシア海軍は従来とは異なり、食糧を与えた後に領海外に追いやったのだ。

 「非人道的行為だ」「マレーシアは基本的人権を擁護すべきだ」「彼らを受け入れて後に対策を考えよ。200人余の命を死地に追いやるべきではない」「民間の強硬意見を恐れ、非人道的行為に走るな」などと言った政府(海軍)に対する非難も見られた。だが、「新型コロナ感染問題を考えるなら、マレーシア政府は国民の安全を優先して当然だ」との声も聞かれる。

 実はマレーシア政府は新型コロナ対策を次々に打ち出し、すでに前後3回にわたって総計で3600億リンギット(1リンギット=25円前後)の緊急予算を計上している。それだけに、現状以上の難民の受け入れを可能にするような財政的余裕はないだろう。ここでも前々ナジブ政権(2009~18年)の放漫財政のツケが重く圧し掛かってきているように思える。

 政界の意見も二分され、「新型コロナ対策に全力を傾注している現在、これ以上の難民受け入れは政府による感染対策に悪影響を与えかねず、加えて難民はさらなる感染源たりうる」というのが、与党陣営の共通認識に近いだろう。

 これに対し5月7日に野党代表に選ばれたアンワル人民民主党党首はフェイスブックで、「人道主義の立場でロヒンギャ難民を受け入れ、彼らに居住の機会を与えた後、しかるべき時期に国家として政治的手段を以てミャンマー政府に圧力を掛けるべきだ」との考えを表明している。

 だが、これまでも繰り返されてきた近隣諸国からの政治的圧力なるものが、ミャンマー政府を動かしたことはない。現在のアウンサン・スーチー政権にしてもロヒンギャ族と認めることを頑なに拒み、一貫して「ラカインのイスラム教徒」と呼び、「ロヒンギャ問題は内政問題である」との姿勢を崩そうとはしない。

関連記事

新着記事

»もっと見る