チャイナ・ウォッチャーの視点

2020年3月14日

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樋泉克夫 (ひずみ・かつお)

愛知県立大学名誉教授

中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社刊)など。

[著書]
武漢を訪問した習近平氏(Xinhua/AFLO)

 3月10日、習近平国家主席が武漢市を視察したことで、厳戒封鎖が布かれている武漢市はともあれ、武漢市に先行して同市を除く湖北省の封鎖解除近しとの観測が流れ始めた。ホンダも操業再開を打ち出したようだ。

 これを機に、あるいは習近平政権は内外に向かって新型コロナウイルス終息宣言を打ち出し、今後、確実に予想される世界各国からの非難に対し先手を打って備えておこうというのか。まさに攻撃は最大の防御ということだろう。

 最高指導者の視察を4日後に控えた3月6日、武漢市では感染防止関連担当者会議が開かれている。この席で武漢市の最高責任者である王忠林共産党市党委員会書記は、「(習近平)総書記に感謝し、共産党に感謝し、党の話を聴き、党に従って進む」ことを目指す「感恩教育」の市民への徹底を指示すると同時に、関係部署幹部に対し「民衆に中に入り、民衆を宣伝(きょういく)し、民衆を動かし、民衆に依拠し、共に感染防止工作に万全を期せ」とハッパを掛けたとのことだ。

「総書記に感謝」とはお門違い

 どう考えても、習近平主席の視察を前にしての“露払い”の発言だろう。彼は2月13日、山東省済南委書記から前任者を押しのける形で習近平執行部から送り込まれたばかり。それだけに、功を焦ったに違いない。ここで一旗揚げ、立身出世を狙ったとしても決して不思議でない。なにせ現在の共産党では“忖度”こそが昇進の道に繋がっているからだ。

 ところが彼の思惑は当然のように大いに外れる。早速、ネット空間では猛烈な批判が飛び交った。市民に耐え難い忍従生活を強いておきながら、「総書記に感謝」とはお門違いも甚だしい、というわけだろう。たしかに、その通りだ。それにしても「感恩教育」とは、なんとも時代錯誤としか言いようはない。なにやら毛沢東時代を思い起こさせるに十分だ。

 批判の激しさに驚いたはずだ。王忠林発言の2日後の3月8日になって、武漢市共産党委員会の上部に位置する湖北省共産党委員会の応勇書記が、「武漢市民は大局を見て判断し、行動している。幹部こそが彼らに感謝すべきだ」と発言し、王忠林発言が巻き起こしてしまった社会の波風の鎮静化に掛かった。

 実は応勇も、王忠林と同じ2月13日に現職に異動している。習近平執行部とすれば、王忠林と連携して新型コロナウイルス問題を解決するよう期待を込めて送り込んだに違いない。湖北省党委員会と下部組織の武漢市党委員会とで連携して感染終息に邁進せよ、という狙いだ。

 どうやら弟分の王忠林が「総書記」に対する忖度を急いだあまり起こしてしまった小火が大火になる前に、兄貴分の応勇が火消しに回ったに違いない。

 「総書記に感謝し、共産党に感謝し、党の話を聴き、党に従って進む」などのセリフに接すると、なにやら文革時代に林彪が毛沢東に対して見せた拍馬尻(へつらい)を連想させるに十分だ。たしか『毛主席語録』の巻頭には、「毛主席の話を聞き、毛主席に従って……」といった林彪のことばが置かれていたはずだ。

 加えるに「民衆に中に入り、民衆に宣伝し、民衆を動かし、民衆に依拠し……」などは、『毛主席語録』に納めても決して場違いな感じはしないほどの文章だ。

 やはり幼少年期から青春期を送った文革時代の体験は、血となり肉となって、現在の指導層の体内にも宿っているようだ。

 ここで思い起こすのが、党中央政治局常務委員で全国政協主席を務める汪洋による広東省書記当時の発言である。彼は2012年の広東省人民代表大会(日本で言えば県議会に相当か)において、「幸福を追求することは人民の権利であり、人民に幸福をもたらすことが党と政府の責任である。人民の幸福は党と政府の鴻恩の賜物であるといった誤った認識は、断固として打ち破らなければならない」と“大見得”を切っている。

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