2023年2月6日(月)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2020年3月14日

»著者プロフィール
閉じる

樋泉克夫 (ひずみ・かつお)

愛知県立大学名誉教授

中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社刊)など。

[著書]

中国社会は相互監視のなかで維持されてきた

 振り返って見れば、1950年代初頭の「三反五反運動」(反腐敗)から始まり、50年代半ばの「百花斉放 百家争鳴」(ニセ自由化)、反右派闘争、大躍進、そして文化大革命まで、中国社会は相互監視のなかで維持されてきたのではないか。いまや、その相互監視がヒトからAIに移っている。それが中国における監視社会の現実だろう。

 こう考えるなら、先端的情報機器が張り巡らさえた現在の中国を“優れた社会”などと評価することは、大いなる錯誤以外のなにものでもない。たとえ安倍政権による対策の拙劣さを批判するにしても、である。

 「愛国公約」の最終第8条に、「衛生工作をしっかりと実行し、毎日必ず室内外の掃除を1回行うこと」とある。おそらく、この条項が全国規模で現在まで徹底励行されていたなら、今回のような新型コロナウイルスの発症は相当に高い確率で防げたのではないかと、素人ながら思うところである。

 ところで2月20日すぎだったろうか。香港経由で「武漢市に大型焼却炉40台が搬入される。『火葬のため?』」と題するニュースが流れたことがある。「火葬のため?」とは、何やらタメにする思わせぶりな表現だ。まさか生きた患者を焼き殺すわけでもあるまい。考えてみれば、医学的にも実態が捉えられていない新型コロナウイルスが原因の死体を火葬処理するのは当然のことだろう。

 中国人は伝統的に火葬ではなく土葬だった。個人的信条・感情はどうあれ、公衆衛生や環境の面からは火葬が当然だろう。でればこそ、かりに武漢市当局が「火葬のため」に大型焼却炉40台を導入したとするなら、それは王忠林がブチあげた「感恩教育」より数段も科学的であり、市民のためになっているはずだ。

 近い将来、中国国内ではもちろんのこと、世界規模で新型コロナウイルス発症に端を発する多くの問題に関する論議が確実に起こるであろうし、当然のように責任問題についての批判・非難合戦が展開されるはずだ。それが、どのような方向に進むかは現時点では不明だが、国際秩序の新しい枠組みを求めての模索が始まることになるだろう。

 習近平主席以下の中国の現指導層が送った幼少期から多感な青年期は毛沢東が「全知全能の神」と崇められていたことを、やはり忘れるべきではない。毛沢東は「百戦百勝」と形容されていたはずだ。これからの世界が相手にするのは、かつて「毛沢東のよい子」を目指した世代である。いまだに毛沢東は死んではないないのだ。

  
▲「WEDGE Infinity」の新着記事などをお届けしています。


新着記事

»もっと見る