3月5日、北京で全国人民代表大会が開催された。習近平国家主席は同大会の内モンゴル代表団部会に出席し「民族団結」を説き、「国家で通用する言語文字工作をしっかりと普及させると同時に、中華民族としての共同体意識教育を広めなければならない」と強調したと伝えられる。内モンゴルにおいて漢語(中国語)教育を徹底させ、モンゴル族意識の希薄化を狙った強引な漢化策――文化的ジェノサイド――と言うべきだろう。
ここまで「中華民族としての共同体意識教育」を声高に叫ぶ背景には、あるいは一強体制ゆえの〝漫然とした先行き不安〟が隠れているようにも思える。
言語教育による強引な提言と言えば、全国人民代表大会と同時並行で開かれている全国政治協商会議委員で民主諸党派のひとつとして知られる九三学社中央委員の許進のそれである。彼は4日、「義務教育段階での英語など外国語教科を語文(中国語)や数学などと同等の主要教科から外し、音楽、体育、美術の『三小科』などの情操教育教科の比率を増加させよ。英語など外国語を大学入試科目から除外し、義務教育段階での外国語民間試験の受験を禁止せよ」と主張した。
九三学社の前身は、日中戦争時に反日の立場を鮮明にした教育・医学・科学技術者などが結成した「民主科学座談会」である。東京湾に浮かんだ米戦艦ミズーリ号甲板で日本政府が降伏文書に調印した9月2日の翌日を戦勝記念日とすることから、九三学社と命名したとか。
1949年9月21日に開かれ、中華人民共和国建国を決定した第1回中国人民政治協商会議に中国国民党革命委員会、中国民主同盟、中国民主建国会など民主諸党派と呼ばれる8つの政治勢力のひとつとして参加している。だから中華人民共和国建国の一翼を担っていたわけだ。共産党の独裁体制下では「名存実亡」といった存在で、共産党の「衛星政党」との見方もある。とはいえタテマエの上で民主政治を掲げる共産党にとっては、タテマエの上ではあれ、やはり必要不可欠の政党と言えるだろう。
そのような九三学社の中央委員である許進が、なぜ、唐突に英語教育廃止論をぶち上げたのか。彼は、①英語は全教科時間の10%程度に過ぎず、②大学卒業生にしても英語を必要とする者は10%足らずであり、③英語教育の時間を情操教育科目に割り当てるべきだ――と、その理由を挙げる。
これに対し、「国際的貿易言語である英語教育を廃止することは、自分で自分の首を絞めるようなものだ」「役立つか否かで教科を選択するなら、日常生活では役に立たない関数も、方程式も、古文も教育を止めるべきだ」などの反論がネットに投ぜられた。
わが国でも英語教育の是非、小学校から大学まで英語教教育の在り方まで、中国と同じような議論が繰り返されている。だが許進の説く「英語教育不要論」には、別の狙い――アメリカに対し対決姿勢を強める習近平政権に向けた〝忖度〟――があるように思える。
たしかに日本でも「鬼畜米英」が叫ばれた太平洋戦争時、英語を「敵性言語」と見なした時期があった。だが、そのことが対米戦争遂行上にどれほどの効果があったのか。大いに疑問である。であればこそ日本の経験に照らし、許進の主張の小児病性を退け、英語教育を継続すべきことを、老婆心ながら中国政府に〝忠告〟しておきたい。
そこで手始めに、以下を提案したい。
「打倒美帝国主義(アメリカ帝国主義打倒)」が国是であった当時の『簡明英語語法』(湖北省中小学教学教材研究室編、湖北人民出版社、1973年)を教科書にしての英語教育の徹底である。
書名に示されているように、同書は正真正銘の英語文法解説書である。
名詞からはじまり、冠詞、代名詞、数詞、形容詞、動詞、副詞と文法が簡単明瞭に解説されているが、出版時期の政治状況からいって、単なる文法解説書で済むはずがない。やはり徹頭徹尾、終始一貫して社会主義の優位性を訴える。
であればこそ興味深い例文が満載だ。以下に数例を挙げておく。なおカッコ内は、英文の中国語訳を改めて日本語に訳したものである。
■冠詞Theについて
Down with the landlord class!(地主階級を打倒せよ)
People of the world、unite! (全世界の人民、団結せよ)
次に「固有名詞、物質名詞、抽象名詞の場合に冠詞は不要である」と説明し、
I love Tien An Men in Peking.(私は北京の天安門を愛する)
Imperialism、revisionism and all reactionaries are paper tigers.(帝国主義、修正主義と一切の反動派は張子の虎である)
■疑問代名詞
What is work? Work is struggle.(なにを工作と呼ぶのか。工作とは闘争である)
■形容詞
Chairman Mao is our great teacher.(毛主席は我われの偉大な導き手である)
The sea is deep、but our love for Chairman Mao is deeper than the sea.(海は深い。我われの毛主席に対する熱愛は海よりも深い)