「我々は新型コロナウイルス感染症との戦いに勝利した」──。
発生初期において、中国政府が情報を隠蔽し、感染の拡大を阻止できなかったと、国際社会からは批判を受けているが、中国政府は武漢市のロックダウン(都市封鎖)や、デジタル技術を活用した感染者の捕捉などにより、感染拡大を食い止めたとして「コロナ対策の優等生」を標榜、対策が遅々として進まない欧米などを「敗者」と見下ろす言動も目立っている。
中国政府のコロナ対策の要諦は国民の徹底かつ厳格な管理と言えるだろう。この方針はウイルスを巡る言論にも同様だった。感染の原因や実情を自らの視点で取材し、人々に伝えようとする「市民記者」ら、政府にとって目障りな存在を沈黙させてきたからだ。政府にとって不都合な異論をウイルスのように徹底的に排除した上で、「コロナとの戦いに勝利した中国共産党の指導こそが正しい」という考えを人々に植え付けてきた。2020年は習近平政権下での言論、思想統制が、コロナ対策を口実により強化された1年だった。
だが、当局による弾圧を受けながらも、言論空間を守ろうと苦闘する言論人が中国には存在する。その代表的な人物、許章潤(きょしょうじゅん)先生と彼を支援した耿瀟男(こうしょうなん)さんを取り上げたい。
清華大学法学院教授だった許先生は18年7月、「私たちの恐れと期待」という題名の文章を発表した。そこでは習近平が同年3月の全人代で自らの国家主席任期を撤廃したことに反対、「根拠のない『スーパー元首』を生み出すものであり、来年の全人代で任期制を復活すべき」と主張。さらに「共産党メディアの『神づくり』は極限に達している。なぜこのような知的レベルの低いことが起きたのか。反省しなければならない」と習近平への個人崇拝の動きを批判した。
文章の発表時、許先生は訪問学者として来日中だった。筆者は、先生が9月に帰国する際、友人の阿古智子東京大学大学院総合文化研究科教授とお会いした。「文章を発表し、賛同者が広がることを期待したが、広がらなかった。処分は覚悟している」と語る許先生に「それならなぜ帰国するのか」とたずねたところ「国外にいても仕方ない。国内で声を上げないといけない。国内にこういう声があるということを示すのが重要だ」と落ち着いた様子で語った。
帰国後しばらくは言論活動を控えていれば、厳しい処分を受けることはなかっただろう。だが許先生はその後も習近平体制や新型コロナ感染拡大を招いた中国政府の対応を厳しく批判する文章を相次ぎ発表。ついには清華大学の職を奪われ、20年7月には「買春」の容疑で当局に逮捕された。だが釈放された後は処分を受けておらず、全くの濡れ衣であったことは明白だ。
なぜ許先生が自らの身に危険が及ぶ政権批判をやめなかったのか。友人で著名な作家、M氏は以前次のように語っている。
「許先生の言論は最も危険で、間違いなく当局から報復されるものだった。だが、先生の文章が広く尊重されるのは、彼の道徳的勇気のためだ。彼は国民全体に向かって、多くの人々が言いたいが言う勇気がないことを敢えて語ってくれた」
公務員の友人も「許先生は、権力者にとっては1匹のアリにすぎず、踏み潰すのに何の力もいらないだろう。だが中国の歴史の中では、権力者に向かって『ノー』と言う勇士であり、中国人の中の中国人だ。彼は将来の中国の歴史の中で、その名前を刻むだろう」と称賛した。つまり許先生は権力者におもねることなく、批判すべきことを批判する真の知識人の気骨や良心を体現しているのだ。