負け組だから打って出る
東京の次は世界 大きな市場で勝負する
「負け組だったからこそ、今があると思います」。清酒純米大吟醸『獺祭』を醸造する旭酒造(山口県岩国市周東町獺越)社長の桜井博志さん(62)。今期(9月期)の売上は前年比150%の約26億円。毎年2ケタ成長を続けている。減少傾向が続く清酒業界のなかで異彩を放つ。世界16カ国でも販売しており、売上の約1割を海外が占める。
最寄り駅JR岩徳線周防高森駅から自動車で20分。「山奥の小さな酒蔵」と自ら謳うように携帯電話の電波も届かない山の道を抜けた所に旭酒造はある。桜井さんは、1984年、父親の急逝を受けて急遽旭酒造を継いだ。父親とはそりが合わず、それまでは石材卸業を経営していた。
戻ってみると売上は70年代前半の最盛期から3分の1に減少。売上を伸ばそうと紙パック酒の生産をはじめたが、現状を維持するのがやっと。今度は逆に、米を50%以上磨く(精米する)純米大吟醸を造ろうと高級化路線を考えた。
ところが、伝承技術しか知らない杜氏には造り方が分からない。桜井さんは製法を調べ、杜氏に教えた。「技術者向けの雑誌など、一般情報の中から拾い出したものでした。清酒の技術はほとんど公開されており、調べるつもりであればいくらでも手に入るにもかかわらず、調べないというのが伝統的酒造技術者の問題だと思います」。
伝統的に醸造は、杜氏が農閑期に蔵元(経営者)から請け負って行うことが一般的。そのため、酒造りは杜氏に任せて経営者は口を出さないというのが常識だが、図らずもそれが崩れた。日本一の大吟醸にしようと当時の最高水準となる23%まで精米し、銘柄を『獺祭』と名付けた。
生産技術を整えた後、販売先として東京に狙いを定めた。90年のことだ。過疎が進む地元には市場がなく、近隣の岩国市では地元の酒蔵2社が市場を押さえていた。東京では桜井さん自身が酒販店、レストランをまわって『獺祭』を置いてもらうお店を増やしていった。自ら足を運んだのも「卸問屋に扱ってもらえるほどの規模がない」ためだ。口コミなどを通じて徐々に販売を増やしていった。