2024年7月16日(火)

サイバー空間の権力論

2013年4月3日

反権力としてのウィキリークスがもつ抑止力

 ウィキリークスの活動はアサンジが逮捕されたこともあり、以前ほど影響力を保持していないかもしれない。とはいえ、国際社会において影響力を発揮する小規模の集団としてのウィキリークスは稀有な存在だ。彼らは、リークの実行に伴う「身元割れ」の危険を技術的に回避することで、社会の「不正」を告発し、社会の透明化を推進する。その意味でウィキリークスは、巨大な権力を持った国家や大企業といった権力機構に対するカウンターあり、サイバー空間における技術が、個人や市民の側から権力への抵抗を可能にすることを、身を持って証明したのである。

 今後は、不正を働く組織は、「ウィキリークスに暴露されるかもしれない」という不安を抱えることで、一定の不正が抑止される可能性がある。これもまた、ウィキリークスの存在そのものが抑止力を持つものである。

反権力機構に権力が宿ると…
「権力の反転可能性」とは

 だがウィキリークスを称賛する声の一方で、その活動には批判も多い。例えば、戦争に関するリークでは、知られてしまうと現地の一般市民の生命にかかわる個人情報などを晒してしまったこともある。あるいは、企業の内部メールの公開など、そもそも私企業の内部情報のリークにどの程度正当性があるか、といった疑義が寄せられている。

 また、ウィキリークスはすでに権力を持った組織であり、その力の扱いも必然的に注目が集まる。2010年11月、アサンジがインタビューの中で、ある銀行の不正情報を暴露すると発言した。その後暴露対象だと報道された米バンク・オブ・アメリカは、報道直後に株価が3%程度下落したことがある。これは何を意味するのだろうか。

 紆余曲折あってリークそのものは実行されなかったが、結果的にこの事件は、ウィキリークスが予告するだけで経済的・政治的影響を与え得ることを証明した。それはすなわち、権力に抗する組織が、それ自体大きな権力を持つ組織へ変貌したということである。さらに言えば、彼らの判断1つで意図的に政治・経済へ介入し、利益を得ることすらも「論理的には」可能になったと言えるだろう(ここでは、リークをちらつかせて対象企業に金銭を要求するといったことを想定している)。当然のことながら、実際にそうするかどうかはここでは関係ない。だが、権力がウィキリークスに宿った以上、その扱い方にも注目が集まることも事実である。

権力は「動く」

 反権力を志向する組織が、権力を行使する側に立つ。このこと自体は至極当然の流れであり、むしろ権力がなければ組織の目的を達成できない。他方権力を持つからこそ、その力をどのように扱うべきか、という問題も浮上する。本稿が着目するのは、権力の可変的な特性とその行使のあり方にある。


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