2024年12月21日(土)

研究と本とわたし

2013年8月26日

――大学院を修了されてから、気象庁に入られました。

住氏:大学以来、自分にとってはどう生きるかということがすべての根本で、結局わけがわからなくなって、後は偶然といろんな成り行きでやってきたというのが本当のところだと思いますね(笑)。

 ただ進路を考えたとき、当初は研究者として仕事をする気は毛頭なかったのです。ただ好きなことをやっているだけでは研究ではないだろうし、わからないことを追求して究めたり考えたりするというのは、どんな仕事にも必要なはずです。それなのに、ことさら研究を職業にするというのは、個人的には好みでなかったわけです。

 激動の時代のなかで半ば「社会から隠遁しよう」という気分もあったのですが、気象庁を選んだのは、科学を行政に生かしている役所という認識を持っていたからです。

 学生時代、知識あるいは科学と社会との関わりというのを常に考えていましたし、当時は“知識人”の観念性や現実の課題に対するひ弱さへの批判から、社会的な“実践”が声高に語られていたことにも影響されていたと思います。「自分はきちんと労働者として仕事をするのだ」と考えて、気象庁に入りました。

 それで東京管区気象台という機関からスタートし、その後気象庁本庁では最初に予報部の電子計算室という部署に配属されたので、以後の歩みが大体決まっていったわけです。 

 そこは本庁のなかでも数値モデリングなどの開発業務を手がけている部署で、“現場”の大切さというものを徹底的に叩き込まれました。

 その後東京大学に移ってからは、一般的には研究をするという立場になったように思われると思います。最初は、教育・研究という個人でできることをやっていましたが、現在問題になっている課題に答えるには、どうしても、研究のサイズ、組織的な研究が必要と感じるようになってきました。そこで、学問的な自由度を持ちながら組織としての研究を展開しようとしたのです。僕がやっているのは、昔で言う研究とは少し違うように感じます。要するにある種の科学的知見は使っているし、研究的なことはするけれども、カテゴリー的にはビジネスのセンスも多分に含むものではないでしょうか。特に気象学の場合、100%学問的に解明できるというような問題だけを扱っているわけではなく、現実の課題と直結した問題を扱っているので、政治的なことや社会との関係などが問題解明に入り込んできています。従来の研究者という枠組みには当てはまらない、と個人的には思っています。


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