アメリカの国家情報会議(NIC)は、向こう15~20年ほどを予測し、世界的な動きや変化を戦略的視点から分析する「世界潮流」(Global Trend)という報告書を4年ごとに作成している。2008年に発表された『世界潮流2020』は初めて北極海における海氷の融解がもたらす影響にふれ、結論として北極海を通る航路の出現は日中韓に大きな恩恵をもたらすだろうと述べている。実際、中韓両国は長期的視野から北極への積極的な取り組みを始めているが、日本は出遅れている。以下では、日露戦争の歴史を紐解いて日本にとっての北極海の重要性を指摘し、北極戦略の必要性を考えてみたい。
日本が日露戦争に勝てた理由
日露戦争は世界史の大きな転換点だった。それは東洋と西洋の命運をかけた戦いという意味では、紀元前5世紀のペルシア戦争に匹敵する出来事だったといえる。ペルシア戦争では東洋の侵略を西洋が食い止め、その後ギリシアで西洋文明発展の礎が築かれた。日露戦争では極東の小さな新興国がヨーロッパの大国を打ち破り、大航海時代に始まった西洋による東洋の支配という構図を切り崩すきっかけとなった。その後日本は大国の仲間入りを果たし、アジア、そして世界各国で民族主義運動が高まった。
だが、もしも20世紀初めに北極海の海氷が融解していたら、日露戦争の結末も、そしてその後の世界史の流れも大きく異なっていたかもしれない。
日露戦争の結末を左右したのは日本海海戦である。当時ロシアの海軍力は日本の3倍だったが、ロシア艦隊はバルト海、黒海、そして極東に三分され、極東艦隊はさらにウラジオストックと旅順に二分されていた。日本の戦略目標は、ロシアがシベリア鉄道を完成させ、ヨーロッパから極東に兵力を陸上輸送できるようになる前に朝鮮半島と満州を手中に収めることだった。
東郷平八郎提督率いる連合艦隊には、ロシアの海軍力を無力化し、日本から大陸への兵力の海上輸送の安全を確保する任務が与えられた。バルチック艦隊は1904年10月に極東を目指して出港したが、それは7カ月に及ぶ18000カイリの航海だった。バルチック艦隊はインド洋を通じて極東に向かったが、インド洋は日本の同盟国イギリスの圧倒的支配下にあり、同艦隊が極東にたどり着く頃にはすでに旅順は陥落し、将兵の疲労と補給の不足に悩まされていた。このため、連合艦隊は対馬沖でバルチック艦隊を待ち伏せ、これを打ち破ることができたのだ。