また日本ではこれまでNPOなどのソーシャルセクターだけが寄付を受け取って活躍している印象であったが、コロナ禍を経てその傾向は徐々に変わりつつある。例えばコロナ禍で休業を余儀なくされた飲食店を応援する寄付であったり、地元の飲食店にテイクアウトを注文したりする「応援消費」の動きがあったりした。普段であれば1円でも安いものを選ぶのに、定価、あるいは少々高くてもいい。つまり寄付だけでなく、消費や選択など、経済を循環させることが社会貢献になることを学ぶことができたといえる。このようにして「共感資本主義」と呼ばれるような、共感者が織りなす善意の資金循環の「すそ野」は拡大している。
税金と寄付は
同等の意義がある
行政の事業は「税金を投入するもの」というのが一般的な反応だ。しかしながら、行政だけでは、かゆい所に手が届かないため、民間の寄付などの善意がその「すき間」を埋めているという実態もある。立場に応じて等しく負担した税金を、選挙で選ばれた議員が政策を立案し、予算を執行するが、それだけでは限界がある。そこで、公共的な部分であっても政策を補完する「民・民」のお金の流れが寄付である。
この意味では「税金と寄付は同等の意義がある」といえる。自分で政策を決めたことにもなるため、認定NPO法人や公益財団法人などへ寄付した場合、その分の税金が引かれる仕組み(寄付の税制優遇)があるのだ。さらに日本では、行政と民間が対立する軸でなく、違いを乗り越え、大きな意義を生み出している事例もある。
例えば、社会課題の解決に役立てられる「ふるさと納税」もその一つである。筆者は以前、ある中東の国の行政職員向けに日本における寄付の仕組みについて講義を行った際に「ふるさと納税は税金の二重取りではないか?」と疑問を持たれ、理解してもらうまでに苦労をしたことがある。ふるさと納税は、通常の税金と違って、自治体を選んで寄付することや使い道を指定することで、直接、自分の意思を生かすことができる。
23年10月に京都駅前に移転した京都市立芸術大学は、もちろん京都市の税金が投入されているが、堀場製作所が5000万円、京都銀行と京都中央信用金庫がそれぞれ1000万円を寄付するなどして、合計15億円が集まり、その歓迎ぶりに注目が集まった。
また徳島県神山町の神山まるごと高専は、東京のIT企業経営者などが設立した私立の高等専門学校で、今春の開校では、故坂本龍一さんが最後に作った校歌が花を添えたが、100億円の基金を民間から集め、その運用益で、毎年40人ほどの学生を無償で起業家教育すると話題を集めた。私立の高専ながら、自治体が地元NPOなどと連携して寄付の受け皿をつくり、ふるさと納税や企業版ふるさと納税の仕組みを活用した。子どもの教育は、未来づくりそのものであり、官民一体となって両者の強みを生かして連携が広がった好事例といえる。
福岡県北九州市で進められている「希望のまちプロジェクト」も、地域を変えていこうと連携が広がる取り組みの一つだ。日本で唯一、特定危険指定暴力団に指定された工藤会の本部事務所の跡地を、北九州市でホームレスの自立支援をしているNPO法人抱樸が購入。寄付を集めることなどで、25年に救護施設や子ども・高齢者など多世代が集う学習や介護を支援する福祉の施設をオープンさせる計画が進行中だ。
経済の変化と都市化によって家族像が変化し、昭和の時代のような大家族はもはや少数派で、単身者が世帯数の約4割、ひとり親世帯が約1割と半数を占める中で、「孤独・孤立・孤育て」が社会課題となり、家族の機能を地域の繋ぎ直しを通じて担うことが必要となってきている。
工藤会の本部事務所が存在していたときは、地域住民の中でも「近づいてはいけない」場所だったという。しかしながら多くの人々が連携して、一人ひとりの希望を重ね合わせて、まさに「希望のまち」となっていくのだ。まさに行政だけではできないこと、NPOだけでもできないことを「ファンドレイジング」を通じて、社会を変革していくのだ。
募金、喜捨、寄進、勧進、義援金、応援金など、寄付に関する言葉が日本語には数多く残されている。これは私たちの歴史に寄付文化があった証拠だ。寄付には「寄り添う」という意味が込められている。つまり災害が起こった時や人々が地域のことへ思いを馳せた時、私たち日本人のDNAが動き出すといえるのではないか。
【訂正】
1月号Wedgeで、冒頭の写真のクレジットを(AP/AFLO)としておりますが、正しくは、(HAILSHADOW/GETTYIMAGES)です。修正してお詫び申し上げます。