この熱き人々

2013年12月13日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

 「演出家がこんなことをしたいとイメージで伝えることを、解釈して確認して、図面にして共通言語にする。そこからハードウェアの設計をして、クリアしなければならないハードルをひとつずつ越えていく。さらに、アーティストやタレントがどう動くのかというソフトの部分の問題もクリアしなければ成功しません」

 例えば、東京ドームで海洋コンテナを空中に吊り上げて、コンテナの扉を開けて空中から登場する仕掛けを造ってほしいと依頼される。

 「コンテナの強度は側面の壁で保たれているので、そこを抜くのは危険だし、人を乗せるのはさらに無理。今の日本で活用できる技術をうまく組み合わせて、安全基準を譲らずに、人が空中に浮かんでいるように見せなければならない。大体、無理な要求を無理な期間で達成することを求められますね。ジェットコースターと同じで面白いことには危険が伴う。そこをどう安全に度肝を抜けるか。仕掛けはいつも物理との戦いです」

 観客が驚きの声を上げる場を創り上げるデューク松山は、「空間の魔術師」とも呼ばれる。しかし、人間が魔術を使えない以上、その魔術は、時間、予算、安全の確保、緻密な計算の末に生み出される、汗と知恵の結晶にほかならないのである。

「奇跡」との出会い

 デューク松山、本名は松山秀生(しゅうせい)。1956(昭和31)年に鹿児島市に生まれた松山は、親の言うことをよく聞き、勉強にも真面目に取り組む少年だったという。が、小学校3年の時に、病気で生死をさまよう試練に見舞われた。

 「当時は腸チフスか赤痢かと大騒ぎで、体力がどんどん落ちて、歩くこともできない。入院していた病院は畳に布団。這ってトイレに行く途中で気を失って、天井から倒れている自分を見ていた記憶があります。それまで親の言う通りいい子でいたけど、もうすぐ死ぬのかと思うと話は別です」

 せめて自分の思うようにしてから死にたい。少年が通した自分の思いは、おかゆではなく、普通のご飯と味噌汁を食べること。結果、激痛と苦しさにのた打ち回った。

 「どうせ言われる通りにおかゆを食べても苦しいんだから、同じ苦しむなら自分の好きなものを食べて苦しんだほうがいいと思いました」

 運よく九死に一生を得て退院できたが、この経験は少年の生き方に大きな影響を与えることになったようだ。学校に戻った直後、松山は、同級生が披露したトランプやボールを使った手品にいたく感激した。

 「すごく上手でね。僕は奇跡だと思って、その子に教えてほしいと頼み込んだんです。授業中にも掌でボールをいじっていて、転がって先生に怒られたくらい真剣でした」

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