この熱き人々

2013年12月13日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

 マジシャンの道は、この時から始まったということになる。

 「その同級生は、もっと続けたいならとプロの手品師を紹介してくれたんです」

 市内のデパートでショーや教室を開いているプロのもとに放課後毎日通って練習し、小学校高学年の頃には、公民館などで師匠のショーの前座に出るようになっていた。堅実な道で生きることを望む両親は、手品に夢中の息子を案じた。が、息子は自分の思いに忠実に従い、親は匙を投げる形で黙認せざるを得なかった。そんな松山にとっては、高校進学すらもマジックの完成度を上げるために器械体操部に入ることが目的。

 「マジックって、タネや仕掛けでだまされると思っていたけど、実はロジックなんだと教えられました。消えるのは、人間の動体視力がついて行けないから見えなくなるっていうようにね。人間の脳が勝手にだまされる。器械体操で宙返りをする時には、自分が今空中で何をどう見て動いているか意識して、フィルムのコマ送りのようにイメージできないとうまく着地できない。マジックも同じなんです。相手からどう見えているのかイメージしないと上達しない」

 高校も部活もすべてマジシャンへの道程に組み込む。見事なプロ意識である。が、高校卒業後、鹿児島でプロとして活動し始めた松山が直面したのは、自分の思い描いていた仕事と現実の仕事があまりに違うことへの戸惑いだった。松山が求めたのは、みんなが目の前の異空間を楽しみ喜んでくれる華やかな世界。手品とマジックという言葉はあっても、まだイリュージョンという言葉は浸透していない時代に、松山が漠然と目指していたのはまさにイリュージョンの世界だったのだろう。

 「酔客相手にトランプやって、タネは何だと詮索される。ここでは自分の望みは叶えられないと思って、東京に出ることにしました」

新たな幻想世界へ

 イリュージョンを追いかけて上京した松山は、桐朋学園芸術短期大学の演劇専攻科に入学。演技・演出の勉強をすることで、動きを洗練させ、ショーの構成や演出に磨きをかける。3年勉強して、卒業後は安部公房スタジオに入団。セリフがなく表情や動きだけで表現するマイム、クラウニングに取り組んだものの、安部公房スタジオが活動停止。必死で夢を追いながらも、現実は食べていくための場を探さなければならない。松山が飛び込んだのはサーカスだった。サーカスでのピエロ役は、空中ブランコからわざと落下して観客の笑いをとるなど、高い身体能力と演技力が求められる。

 「器械体操、演技力、演出力、マイム……すべてが役に立ちました」

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