「民主化」後も繰り返される権力闘争
汚職にまみれた朴槿恵、国会を破壊しようとした尹錫悦。かれら民主主義を蹂躙した権力者の横暴を食い止めた政治家、また積極的なデモ参加で意思を示した市民など、内外で韓国の意識と行動を高く評価する向きもある。
しかし物事を長期的な視座でしか見られない歴史家には、同じ繰り返しにしか見えない。権力者が横暴になるのも然り、敵対勢力が誹謗して政権交代をはかるのも然り。いわゆる「民主化」以降の韓国政治の通例である。政権を握ると、相手側の政治家・官僚・裁判官に対する検挙投獄のくりかえし、程度の差こそあれ、党派の左右で変わるわけではない。
韓国では建国以来、周知のように、終わりを全うした大統領は一人もいない。「民主化」の前後、左派・右派の違いを問わず、在任中は同じく罪を犯し、退任後の末路は同様に悲惨である。
先般4月の総選挙で与党が大敗した。政府の政策はことごとく反対をうけて、国政は停滞している。そればかりではない。次期政権もこのままでは、左派に交代する可能性が高まった。
かくて尹錫悦側の没落は、決定的になっている。現状の改変と将来の救済のためには、戒厳令を敷いて、武力で次期大統領候補を含む左派の政治家を起訴・収監するしかない。尹錫悦大統領がそう判断しても無理はないし、そうだとしたら、やはり藪蛇だった。
暴挙・軽挙にも、やはりそれなりの経緯・理由はある。そもそも左右ともに、そんなことができて、しかもあえて辞さないところがいぶかしい。今回でいえば、ほんとうに法治国家・議会制民主主義なら、いかに横暴な元首でも、立法府の国会に派兵して、戒厳令の解除決議をさまたげようとは思いつかないはずである。
それなら個人的・党派的な動機の問題ではない。むしろ体制全体に関わっているとみるべきだろう。
今回とどまらない。大統領が司法に容喙した例もおびただしいのである。韓国は民主政治だといっても、その根幹をなすべき三権分立や法治のありようが、どうもちがっているらしい。
そこまで考えてみると、つきまとう既視感は、デモの様相ないし「民主化」以降の経過ばかりにとどまらないように思えてきた。歴史を知る向きなら、かつてのいわゆる李朝時代、朝鮮王朝を想起するだろう。けだし筆者ばかりではあるまい。
王朝時代の党争が復活再生
朝鮮王朝は500年以上続いた、東アジアで最も長持ちした体制である。君主の専制、エリートの腐敗、熾烈な党派争い、思想イデオロギーの純化が、その顕著な特徴だった。
このように列挙すれば、いずれも現代の韓国政治に共通する、と言ってよい。大統領の権力集中、財閥と癒着する政治家・官僚、軍隊やデモを動因する政党の激しい対立、「親日」など異論を許さぬナショナリズム。地位の名称や行動の手法に相違はあっても、枠組みは両者、すべて同じではないだろうか。それなら基本構造は、どうやら王朝時代から途絶えずに、連続してきたといってよい。