2024年12月18日(水)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2024年12月18日

 一般的な民主主義国では、「法治」の基盤の上に「言論の自由」や「政党の選挙」という制度が働いている。日本の政治も制度の正常な作動はずいぶん怪しくなっているものの、基本構造はなおそうであるとすれば、韓国政治が日本人に異様にみえてもおかしくない。

 トップの専制と政治家の党争が不可分で、法治に優先するのが半島全体に君臨した朝鮮王朝の歴史的な遺制である。そう考えると韓国のみならず、南北朝鮮の政権の動き方に合点のいくことが多い。

 韓国も北朝鮮も、まず元首の権力がすぐれて強大である。北が全くの一党独裁なのは、いうまでもない。これはトップと不可分な朝鮮労働党が、敵対党派の存在を否定した体制であり、むしろ歴史的な党争を克服して成立したありようだと見なすことができる。

 それに対し、南も当初、権威主義的独裁で、北と相似する体制だった。ところが韓国は共産主義・民主集中制ではなかったために、進歩派の残存を許し、党争を否定しきれなかった。やがていわゆる「民主化」を果たすと、むしろ本卦還りしたとみればよい。

 民主主義・政党政治という名で、王朝時代の党争が復活再生し、そのあげくが現状に至った。アナクロニズムな歴史からの見立てにしたがえば、そう描かざるをえない。

隣国の本質を見つめなおして付き合いを

 そうした韓国の「民主化」は、たとえば権威主義的な保守勢力に、進歩派が戦いを挑んで実現させてきたという構図で見るのが、一般では通例のようである。弾劾の動機にしても、保守が権威主義から脱しなければならない、とか、進歩派に政権交代すれば問題は解決する、とみなして、市民がこぞって賛成した。そうした韓国での見方は、日本人も納得する向きが少なくない。

 しかし8年前も、ほぼ同じことが言われて行われたはずである。そして今、再現したのだから、結局何も解決していなかった。つまり韓国の政治をいわば西洋近代の政治学で解釈説明し、その基準で改善を試みても、必ずしも十分ではなかったわけである。

 それなら上のような歴史的な説明のほうが、どうも説得力がありそうに感じるのは僻目(ひがめ)だろうか。そもそも異なる国なら、体制が違って当たり前、日本と同列にみて、その民主主義・法治の概念で比較する方がおかしい。韓国には韓国の歴史と国情がある。

 ところが日本人は、韓国が「民主化」したと教えられると、日本と同等以上の民主主義国だと思い込んでいるようだ。今回の「非常戒厳」でも、その民主主義を死守する「覚悟」や「抵抗」を称賛する向きがある。大手メディアですら、「民主的選挙による政権交代を繰り返し、成熟した民主主義国家」となった韓国大統領の「破壊」的「愚挙」と報じた。どうも本質をはき違えて、「成熟」なのに「愚挙」だという自家撞着にも気づいていないと感じるのは、筆者だけだろうか。

 重要な隣国である。あらためてその本質を見つめ直して、向き合い方・付き合い方を考えなくてはならない。

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