この熱き人々

2014年6月11日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

 「大学で授業を始めた最初の年は、長い夏休みに作品を描いていたんですが、2年目の夏に体調を崩して仕事ができずに、教えながら締め切りに間に合わせるしかなかったんです。授業のほかにもやらなければならないことが多くて、どうしてもエッセー漫画しか描けない。初めての試みなのでカリキュラムも一から作らなければならないし、教材もない。1週間の授業のコマ数に合わせて内容を組み立てる。手さぐりで苦戦しながら、漫画を大学に根付かせることの難しさと、その意義もまた実感するようになって、これはもう大学に専念するしかない、描くほうは無理かなと思いました」

漫画は世界を変えられる

 1991年から9年間続けた「天馬の血族」の連載が2000年3月に終わった。そのタイミングで京都精華大学のマンガ学科新設を文科省が認め、竹宮に4月からの教授就任要請があった。もし1年早かったら、物理的に到底応えられる状況ではなかった。京都精華大学にとってはグッドタイミングだったが、当時、竹宮は脂の乗り切った漫画家である。ファンの次作への期待も大きく、本人も描くことに一層専念したい時期ではなかったのだろうか。

 「確かにその頃って、コンセントレーションを高め、自分を完全にコントロールして、締め切りに間に合わせてきちっとした作品を描くことができるようになって、描くことが楽しくなっていましたね。それまでには、自分の方法を根底から変えなければいけないという大変苦しい時期がありました。物語が制御不能になって、どんどん膨らみ、ページ数が足りなくなるわ、締め切りに遅れるわ、ページの配置すら間違ったことも。長いスランプで、自家中毒になり目を閉じて寝ているしかない時期もありました。ここを抜け出すには自分で数をこなして何かを見つけ出すしかないと思って、吐きながら仕事をしていました。そのうちどん底に着く、そうしたら底を蹴って上がっていけるという思いでした。完全にセリフのひとつひとつ、コマのひとつひとつをコントロールできたと思える作品を描き上げた時に、あ、乗り切れたと思いました」

 漫画がパターンによる表現だった戦後の黎明期の第一世代から、70年代後半以降は、それ以上の表現を模索する成熟期の第二世代へのまさに産みの苦しみの時期。手さぐりでひとつひとつ乗り切っていかざるをえなかった。身をもって暗闇から何かを感じ取り、道を見出しながら歩を進めてきた。苦労したからこそ後に続く世代に何か伝えられるのではないか……。自分を求める大学の声に、そんな思いが胸をよぎったという。

 「難しさも含めてわかってもらったほうがいいのかもしれないと思った。大学進学では中学生に教える教育学部を選んだように、もともと教えることに興味があったのかも」

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