この熱き人々

2014年6月11日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

 竹宮は、徳島大学教育学部美術科を中退して上京している。しかし高校3年の1968年に「週刊マーガレット」にデビュー作の「リンゴの罪」が掲載され、大学在学中にすでに「週刊少女コミック」で「森の子トール」を連載している。大学を中退して上京したのは、本格的に漫画家として生きる決意の表れであろう。1970年、徳島から東京への距離を20歳の女性が飛ぶには、強い意志の力が必要だったのではないかと同世代を生きたゆえに想像してしまう。また同世代ゆえに竹宮と漫画との出会いは少女漫画だと思い込んでいたが、意外にも戦前の少年漫画「冒険ダン吉」だったという答えが返ってきた。

 「田舎でしたからね。まだ少女誌など手元に届かなかった。少年誌のほうが多かったですね。小学校1年の頃から、見た漫画を覚えてソラで描いていて、そのうち自分の描いた絵にセリフをつけて、その後どうなるの? ってみんなが面白がってくれるのがうれしくて、また続きを描く。漫画家になりたいと思っていたけど、漫画を読んでいると頭が悪くなると怒られるので親には内緒でした」

 確かに、昭和20年代、30年代は、教師や親にとって漫画は勉強の妨げになるものという認識だった。自分の求める世界を内緒にしなければならない。そんな竹宮の背中を強く押したのが故・石ノ森章太郎の『マンガ家入門』という本だった。

 「衝撃でした。漫画は何でもできる。世の中を変えることさえもできるという熱烈なアジテーションで、それを受け取ってしまった以上、漫画家を志すしかないと思って、石ノ森先生に手紙を書いたんです。田舎にいて漫画家を目指していて仲間がほしいって。石ノ森先生がアシスタントに手紙を渡してくれて、その人から手紙がきて、同人誌の仲間を紹介してくれた。その伝手(つて)で高校3年の修学旅行で東京に行った時、自由時間に先生のアトリエを訪ねました。先生には会えなかったんですが、チーフアシスタントとして永井豪さんがいました」

 石ノ森章太郎が作った同人誌「墨汁一滴」の女子会が「墨汁二滴」で、そのトップが学園漫画で人気を集めた西谷祥子。西谷が編集者を通じて竹宮に新人賞への応募を促し、それがデビュー作「リンゴの罪」の発表につながったという。若手を育てる、先輩が後輩を導くという当時の漫画界が持っているやさしさや、才能と才能がぶつかり合うことで切磋琢磨し、世界を広げていこうというエネルギーが感じられる。

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