その後わかったことですが、この会社は、全購連から資金調達をしてもらうための会社だったのです。この会社が存在することで、全購連は、信越化学から仕入れた製品の売上予定金額の半分を、前受金として信越化学に支払ってくれる。つまり、信越化学は全購連から、いわば無利息の借り入れができるような仕組みになっていたのです。
私たちは考えて、こんな仕事を作りだしました。「鉄骨を買ってきて一坪くらいの小屋の骨組みを作る。割栗(わりぐり)石の上にブロックを置き、その上に、その鉄骨の骨組みを置く。そして、周りに信越ポリマーで製造した塩化ビニルの波板を貼り付ける」。
いまで言う、「プレハブ」のはしりといえばわかりやすいでしょうか。この「一坪プレハブ」のセットをトラックに積んで、飛び込み営業で売ってまわろう、という考えです。
働けば働くほど赤字が増える
ところが、ズブの素人がやっているのですから、うまくいくはずがありません。試作品を作ってみたら、プレハブ内の温度が50度くらいになってしまって、熱くてとても人が入れるものではありません。慌てて窓を作りました。
鉄骨、波板、窓・・・といった部材をひとつの束にまとめて、金物屋や飯場(はんば)に売り込みにでかけました。作業服を着て、自分でトラックに積んで、関東一円を売り歩きました。
結果は大赤字でした。2年間で30セットくらいしか売れませんでした。
社員は何せ7人しかいませんから、仕事はなんでもやりました。自分で売り歩くのはもちろん、協力会社(昔は“下請け会社”といいました)として、鉄骨を刻んでくれる町工場を探したり、あらゆる種類の会計伝票を作ったりしました。
あるとき、足立区の町工場を訪れました。ご夫婦と赤んぼの家族3人しかいない小さな町工場です。それまでは現金で払っていたのを、部長の指示を受け、手形払いに変更しに行ったのです。
自分たちの会社の手形では信用がありませんから、信越化学の手形を使わせてもらうことにしました(立替払い)。そして、20万円の手形を若い夫婦に渡したら、なんと神棚に上げて二人で拝んだのです。