2024年4月25日(木)

この熱き人々

2014年9月11日

 「歌舞伎座で玉三郎のおじさまとふたりで踊らせていただけるなんて、ありえないことなんです。毎日緊張しています。玉三郎のおじさまにしかできないことがいっぱいありますから。間近で踊りを見て、感じて、自分が少しずつ成長できたらと思っています。ありがたいことは自分の力にしなければいけないでしょ。父はいつも女形のことは玉三郎のおじさまに教わりなさいと言ってましたから。『二人藤娘』を踊れるのも父のおかげです」

いつも傍に父がいた

 父の18代目勘三郎が亡くなったのは、2012年12月5日。惜しんでも惜しみきれない早すぎる別れに、歌舞伎ファンばかりか日本中がショックを受けて呆然とするなか、兄・勘九郎の襲名公演を懸命に支える七之助の姿があった。中村屋と父が切り拓いた世界を守ろうとする兄と、その兄を支えろという父の言葉を忠実に果たそうとする弟の姿に、若いふたりに託されたものの大きさを改めて思ったものだ。

 「父がもういないのは頭ではわかっているつもりなんですけど、実感はあまりないんです。ビデオとかDVDを見ると鮮明に思い出せる。だからいなくなったって感覚がないんです。いつも隣に父がいる生活で、父であり師匠でもあったわけですから」

 七之助の初舞台は1987年1月、歌舞伎座の「門出二人桃太郎」(かどんでふたりももたろう)で3歳半の時。5歳の兄も一緒に初舞台。兄弟同時に仲よく歌舞伎役者としてのスタートを切っている。きっと無邪気な本人たちよりも緊張しながら見守る若き父の姿があったのだろう。

 兄弟仲よくというのもまた父の教え。幼いころ“家出”したのも兄弟一緒だったという。

 「家出じゃないですよ。自分たちで出て行くなんてありえない。父に追い出されたんです。兄とふたりで父方の祖父(17代目勘三郎)のところに行ったんだけど、父は『今からふたりが行くけど絶対入れないで』とか先回りしてる。それでも祖父は入れてくれましたけどね。父は厳しい人でしたから。やめたかったらいつでもやめてもいいよと言う。ふたりともやめたら養子をとるからいいって。父に教えられなくても兄とは仲いいんです」


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