1980年代、ゴッホの肖像に扮した写真で美術界を驚かせた。著名な人物像から新たな物語の発見を促す「自画像的作品」は、四半世紀を経てさらに表現の深化を遂げている。今夏、世界の美術家の作品が集結するヨコハマトリエンナーレでは、「あたり前」をひっくり返すアートの可能性に挑む。
画家の心身に侵入
横浜のみなとみらい駅に直結した新たな大型商業施設を抜けると、左右に長い広場が横たわり、広場の先に左右対称にどっしりと広がる横浜美術館が見える。ここが、今年8月1日から11月3日まで開催される「ヨコハマトリエンナーレ2014」の主会場になる。2001年から3年に一度開催され今回5回目を迎える現代アートの国際展のアーティスティックディレクターとして、全体の構想を導くのは美術家・森村泰昌。
森村が、重厚な美術館の広々としたエントランスに現われる。と、森村の周辺の空気がモゾモゾと動き出すような妙な気配がして、それが波のように押し寄せてきてこちらの気持ちもザワザワと動き出す。初対面なのにどこかで会ったような……あれ、誰だっけ? それとも知っている誰かに似ているのか? そんな既視感が生まれ、ひとりに収束しないで、どんどん“誰か”が拡散していく不思議な感じ。これは、おそらく森村がこれまでたくさんの人になりきってきたからなのだろう。知らないけれど知っている……。
森村泰昌といえば、やはりゴッホを真っ先に連想する。自らの身体を使って絵画や人物になりきったセルフポートレートという表現方法で知られているが、その最初の作品がゴッホの自画像。森村は、ゴッホになっちゃった人なのである。しかも、選んだのが「包帯をしてパイプをくわえた自画像」。ゴッホがゴーギャンと喧嘩して、逆上のあまり自分の耳を切り落とした直後の、耳に包帯を巻いた自画像なのだ。
「棟方志功の『わだばゴッホになる』という本があります。あれは自分もゴッホのような画家になるぞというあこがれの対象のゴッホですが、私のゴッホは何とも情けなくて痛いゴッホです。じっと見て、帽子や服を作った。使い込まれたコートと防寒用の帽子。実際には軟らかい素材のはずなのに、僕にはどうしても軟らかく見えなかった。もっと刺々しく見えた。だから服は布ではなく粘土で作り、帽子には釘を刺した。粘土の服に色を塗り、自分の顔にも色を塗り、もうドロドロになってこれ以上近づけないところで、包帯を巻いて写真を撮りました」