すっきりしないまま卒業し、何となく大手電機メーカーに就職したものの、新入社員を寮に集める徹底した社員研修の3日目に脱走して退社。ここは違うという確認のためだけのサラリーマン3日坊主から、高校や大学の非常勤講師をしながら母校のデザイン科や写真科に再入学したり、ひたすら自分の居場所を探す日々が続いていた。
「版画もやったし、デザイナーもやった。絵をやめて文章を求めたけど、これも厳しいな。じゃ、文章と絵を組み合わせて絵本作家はどうだろう。でも何をやっても行き詰まるんです。若い時は公募展にも応募しましたが、ずいぶん落ちましたね。新聞のイラストみたいなのにも投稿して、やっぱり落とされました。一度はもうやめようかとも思いました」
ゴッホのセルフポートレートが評判になった時、森村は、どんなに頑張っても振り向いてくれない世界に「これでもくらえ」という思いで作ったものだと語っている。
なぜかゴッホだったというけれど、自分自身のすべてを丸めて投げつけるのにはやっぱり何となくゴッホ、たまたまゴッホではないように思う。自分の耳を切り落として娼婦に送り付けたゴッホと、自分を理解してくれない美術界にゴッホと化した作品を投げつけた森村。やはりゴッホは意志的に選ばれた。あるいは必然的な出会いだったのだろう。
「核になるところが見つからない。何をやってもこれは自分じゃない。自分がどこにもないと思っていたけど、でも、迷っている自分が確かにここにいるじゃないか。迷っている自分を核に、これまでやってきたことすべてを寄せ集めたら、トータルなひとつの世界になったという感じですねえ。自分の中の総合芸術です」
絵でもない、写真でもない。演劇でもない。しかし、絵でもあり、写真でもあり、演劇でもある。そんなハイブリッドなものに自分を見出せたのだという。
自分の居場所を見つけた森村の活躍ぶりは、まさに堰(せき)を切ったように、名画や女優、報道写真の中の人物へと一気に加速していく。フェルメールやベラスケスの名画に入り込んで西洋美術史になった森村、マリリン・モンローやオードリー・ヘプバーンや岩下志麻など女優になった森村、日本美術史になった森村。06年には、写真と映像による「なにものかへのレクイエム」を発表。20世紀の出来事をテーマに、政治と戦争を映し出す報道写真に侵入。ヒトラー、レーニン、アインシュタイン、三島由紀夫……名画や実在する人物になりきった森村のカメラを見据えた目が、見る者の目といやでも交差する。すでに知っている馴染みの絵や人物に安心して抱いていたイメージがうごめき出す。見る者が感じるだろう違和感や不安を森村の目が見ているという、妙な心地悪さと面白さが混然一体となって圧倒されてしまう。
アートの価値とは
次はどんなことをやってくれるのか。そんな期待を抱かせる日本を代表する現代アートの旗手が、アーティストではなく総合ディレクターに就任するヨコハマトリエンナーレ2014は、はたしてどんなユニークな国際展になるのか。実に興味深い。