90年代に大ヒットしたドラマの名言を彷彿とさせる「僕はちにましぇ~ん」や、懐かしの熱血教師を思わせる「3年Y組ニャンパチ先生」など、アニメを見ていると、今の小学生ではなく、思わず親が「クスッ」と笑ってしまう小ネタがちりばめられている。「その手にはかからない、と思ってもつい笑ってしまう」とは小学生の子をもつ親の弁だ。
「そこはもともと狙っていたところです」と日野は話す。「子どもだけでなく、親など他の世代も巻き込み、ドラえもんのような国民に愛されるコンテンツにしたい」と夢を語る。
今や飛ぶ鳥を落とす勢いのゲーム会社の社長である日野は、ゲームに熱中した少年時代を過ごしたのかと思いきや、意外な答えが返ってきた。
「ファミコンには見向きもしなかったんですよ。画像などはマイコンのほうがきれいでしたし」
マイコンとは70~80年代に普及したマイクロコンピュータのことだ。ちなみに日野は68年の生まれで、初代のファミコンが発売されたのは83年、中学生のときだ。ファミコンに熱中する同級生は多かったが、マイコンをもっている友人は皆無だったという。
(HIROSHI ISHII)
「小3ぐらいからずっと欲しかったんですよ。それで数年分のお年玉を貯めて小6のときにようやく買いました。小学生にとっては高い高い買い物でしたよ。それだけ欲しかったんです(笑)」
日野がファミコンの世界に引きずり込まれたのは、「ドラゴンクエストⅢ」が発売された88年、19歳の時分のことだ。
「『こんなの面白いワケないだろ』と思って半信半疑で買ったら、もうめちゃくちゃ面白くて」
ファミコンよりマイコンのほうがコンピュータとしての性能は上だ。だが、「絵がきれいとか、色の数が多いとか、そんなんじゃなくて、ゲームってこういうものだ、というのを教えてくれたものでしたね」。そう振り返る。