4月2日にイラクのティクリートからの撤退を余儀なくされたイスラム国(ISIL)の反撃が顕著となっている。5月17日にイラク西部のアンバル州の州都ラマディを制圧したのに続き、3日後の5月20日にはシリア中部のパルミラも制圧したからだ。
ローマ時代の遺跡が残るパルミラ。写真は昨年3月警備するシリア兵を撮影したもの(aflo/NYT)
ISILは、米国主導の有志連合の空爆により「指導部・戦闘員」「資金源である石油施設」「制圧した領土」を喪失し弱体化しつつあると見られていただけに、こうしたISILの反転攻勢を意外と受け止める向きは少なくない。
戦闘の最前線で活躍する
シーア派民兵の威力
しかし、よく考えてみればイラク政府がティクリートを奪還できたのは、総兵力3万人の3分の2を占めるシーア派民兵の存在があったからである。シリアのアサド政権が反政府勢力に軍事面で優勢であったのも、レバノンのイスラム過激派組織ヒズボラやイラクのシーア派民兵の加勢があったからであった。
ところが、イラクではティクリートの奪還後、シーア派民兵によるものではないかとされる略奪・放火事件が頻発したことからスンニ派住民の反発が高まってしまった。このためアバディ・イラク首相は、次はアンバル州の解放だとの威勢の良い話をしたもののシーア派民兵の派兵は見送らざるを得なかった。
加えて、宗派対立の再燃を懸念する米政府の圧力もあったとされる。結局、アンバル州でISILと戦うことになったのはスンニ派が主流のイラク軍・治安部隊・警察となってしまった。しかもアンバル州の地方幹部からの度重なる弾薬類などの補充要請にイラク政府が的確に答えられなかったことも事態を悪化させてしまった。