日米安保関係は間違いなく両国に大きな恩恵をもたらすものであり、日本国内の米軍基地の存在は安保関係の重要な要素だ。だが一方で、米国が日本で非常に有利な取り決めにあずかっており、沖縄では特に優遇されていることもまた事実である。
日本政府は米軍基地に多額の財政支援を提供し、自民党政権は長年、地元の問題(騒音、公害、犯罪)に概ね目をつぶってきた。このため、国防総省は在日米軍基地に関する有利な取り決めについて、大きな自己満足に陥ったのではないか。
例外は、1995年のおぞましいレイプ事件が引き起こした大騒動だろう。この一件が発端となり、沖縄における米国の「足跡」を軽減する日米合意がなされた。日本政府は明らかに、合意の一環である普天間移設を巡って、沖縄県と詳細を詰めるのに苦労したようだ(日米両国は1996年に基本合意したのに、詳細の最終合意に至ったのが2006年だったことからも、協議が難航したことはうかがえる)。
だが、この問題は大部分において中央政府と県の間の問題だった。その間、米国人は普天間基地を使い続けた。
今、米国は以前ほど従順ではない日本の新政権と向き合っているが、国防総省は普天間移設の現行計画や在日米軍の存在に関するいかなる側面についても、再交渉に強い抵抗を示している。
沖縄の海兵隊ヘリコプター基地を維持することに戦略的価値があると本気で信じるのであれば、国防総省の抵抗も無理からぬことなのかもしれない。だが筆者は、戦略的な重要性はいくらか誇張されていると思う。本当の問題は惰性だ。問題は、米軍基地が受けている今の優遇措置を手放したくないという米国側の単純な願いなのである。
こうした状況を見ていると、1990年代半ばの日米貿易交渉が思い出される。米国側は長年、日本に市場開放を迫る駆け引きの一環として、時折日本からの輸入品を制限するという一方的な報復行動に出た(または報復に出るぞと脅しをかけた)。
すると突如、日本政府は反攻に出た。例えばクリントン政権が1995年6月に日本からの輸入高級車に懲罰関税を課した時(日本の自動車市場に対する外国企業のアクセス改善を図る交渉で日本政府に圧力をかけるのが狙いだった)、日本は世界貿易機関(WTO)への提訴に踏み切った。
米国側は当初のショックから立ち直ると、新たな現実に適応した。国防総省も当初のショックを乗り切って、新たな現実に適応していく必要がある。最終的には日米両政府とも、米軍基地の枠組みを望み通りに維持したり、望み通りに大きく変えたりすることはできないだろうが、妥協は親密な関係に欠かせない重要な要素なのだ。
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